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臥 龍 通 信 第85号 <2004.08.11発行> http://www.Nakajima-MSI.com |
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| ◆ 臥 龍 通 信 第85号 ◆ 日本の戦後問題 |
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| 日本の戦後問題 日本には、韓国や中国と解決のついていない戦後問題が多くあります。最近は領土問題で、マスコミを騒がせていますが、今回は日本の戦後から解決されていない領土問題である「竹島問題」と日本の戦後問題を考えます。 日本の領土問題が、中国や韓国との間で大きな問題になってきました。海洋資源の確保に中国や韓国も本格的に動き出しています。日本の領土を守ることは、日本国民の生命や財産を守ることと同様に、国家政府と国家経営者の重要な義務です。 韓国との「竹島」領有問題は、これまで歴代の内閣や政府決定で先送りされてきましたが、その間に韓国政府は竹島に国家警備隊員38人を常駐させ、一般住民3人も居住していると言われています。港やヘリポートを建設して、武装した国家警備隊員が陣地を築いて完全に「竹島」を占領してしまいました。「竹島」は江戸時代には「松島」の名で知られ、1905年に日本政府の閣議決定で正式に領有を確認しました。1952年に、韓国の李承晩大統領が領海水域として「李承晩ライン」を一方的に宣言して、「竹島」も「李承晩ライン」の内側にあったので、一方的に韓国領土として宣言されました。「李承晩ライン」が廃止された後も、韓国は韓国領土としての領有を主張し、日本が対応に躊躇している間に実質的な占領をしてしまい、いまだに「竹島」領有の対立は続いています。 李承晩は韓国の政治家で、大韓民国初代大統領で大統領在任期間1948年から1960年まで大統領を務めました。李承晩は李氏朝鮮王朝の王族のひとりで、1904年に米国に留学しました。1910年に、プリンストン大学で哲学の博士号を取得し、1919年には上海に大韓民国臨時政府を組織し、自ら大統領に就任した人物です。1921年以降は米国で朝鮮民族の独立運動を展開して、1945年に、米国占領軍とワシントンから韓国に帰国して1948年に国会議員に当選し、大韓民国初代大統領になりました。1960年に、大統領に4選されますが、4月革命で失脚して、ハワイへ亡命しました。李承晩は1952年に、国防と資源保護のために、国際法に違反して一方的に広範な公海上に設置した海域線を設定して、その領域を独占するという「李承晩ライン」宣言による「竹島」(韓国名:独島)の占拠や、日本漁船に対する攻撃・拿捕・拉致・抑留を実行し、教育機関における反日教育の実施などの日本を敵視した政策を実施しました。 私の韓国観は、子供の頃の「李承晩ライン」の印象から始まります。福岡などの九州各地の漁船が韓国警備艇から銃撃され、一方的に拿捕され日本の国民が韓国での抑留生活を強要される事態に、子供であっても韓国はひどい国家だと思いました。国際法上の公海で操業する日本の漁船を一方的に韓国領海と宣言し、銃撃して日本国民を拉致するなど、考えられない暴挙でしたが、日本政府は有効な対抗手段を持っていませんでした。 <日韓関係年表> ・1948年8月13日 大韓民国建国。初代大統領に李承晩が就任する。 ・1952年1月18日 李承晩ラインを一方的に宣言する。以後、日本漁船の拿捕や銃撃事件が多発。 ・1953年1月12日 韓国政府、「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示する。 ・1953年2月4日 第一大邦丸事件が発生する。 ・1953年7月12日 竹島に上陸していた韓国の守備隊が日本の海上保安庁巡視船に発砲する。以後、日本政府の抗議にも関らず竹島の武装化を進め、日本の艦船の接近は不可能となり、事実上の占領を実施する。 ・1954年11月30日 韓国守備隊が竹島に近づいた日本警備艇に砲撃する事件が発生。 ・1965年 日韓基本条約調印によって「李承晩ライン」が廃止される。竹島問題は紛争処理事項とされたが、その後韓国政府は竹島の領有問題は紛争処理事項でないとの立場を取り、一方的に交渉を拒否しつづけている。 私の子供の頃の事件ではありますが、「李承晩ライン」廃止までの日本人抑留者数と拿捕された船の数および死傷者数は、現在の北朝鮮拉致問題とはくらべものになりません。 ・日本人抑留者数が(拉致被害者)3929人 ・拿捕された船の数が328隻 ・銃撃された死傷者が44人 第二次世界大戦後に、さらに朝鮮戦争という朝鮮半島を破壊尽くす戦争を経験して、日本は朝鮮戦争の特需で経済的に大きな発展をしました。自分達の不幸を利用する形で経済発展する日本に対して、韓国国民が大変な憎しみを感じたことは十分に理解できますが、その敵意が「李承晩ライン」という形で爆発したことは、日韓両国にとって大変に不幸なことでした。 「李承晩ライン」が廃止される1965年当時に、日本の国民ひとりあたりのGDPは約7000ドルで、戦後20年経って日本は先進国の仲間入りを目指していました。一方の韓国は1965年当時に国民ひとりあたりのGDPが約500ドルで、韓国は当時非常に貧しい国家でした。「漢江の奇跡」と言われる朴大統領の韓国経済成長が始まったばかりの頃です。当時の韓国は、小学校卒業の学歴しかない女性は1970年には、70.4%もいました。1995年には21.1%へ減少し、高校卒業率は1970年の10.2%から45.1%に増加しました。女性の大学卒業率は1970年の1.6%から、1995年には11.4%へ増加しました。私が韓国に留学した1970年代も、首都のソウルでは小学校の子供までが顔を真っ黒にしながら働く時代でした。韓国のGDPはやがて1971年の39兆ウォンから、1995年276兆ウォンへと、約20年程で約7倍のGDP成長を成し遂げました。 日本人は自分達の歴史を知らないとアジアの国民から言われます。自分の国家の歴史に無関心なことが、その人間の人間性を問われることだという意識が日本の特に若者にはありません。日本の文化や歴史に無関心な日本人に対する厳しい人間評価がアジアではされるのだという意識さえない日本人の海外交流は何かしら恐ろしい誤解の増幅が待っているような気がします。 現在問題になっている「日本人拉致問題」とは比べ物にならない一方的な日本人に対する殺傷・拉致事件である「李承晩ライン」の歴史など、日本人は忘れてしまっているのでしょう。中国大陸で第二次世界大戦中に、日本の100万人を超える軍隊がどのような残虐・卑劣な行いをしてきたかも、日本の若者は知りません。目の前で両親や子供や友人を日本人に殺された記憶のある中国人が、まだたくさん中国には生き残っています。一生忘れることができない、耐えがたい苦しみと悲しみを日本人から受けた中国人が、中国を訪れる日本人の目の前にいるという事実は現在の日本人には考えられないでしょう。 米国の日本の都市爆撃は悲惨でしたが、殺されていく日本人は米国爆撃機の搭乗員の顔を見ることはありませんでしたが、中国人は家族や友人を殺す日本人の顔を見ながら、苦しみと悲しみに耐えてきました。中国人の悲惨さは加害者の日本人の名前と顔を忘れられないことです。中国に観光に行けば、「私の両親を殺したあの日本人がいる。」と中国人の老人から叫ばれる危険を感じている日本人も、日本にはまだ多く存在します。日本人の加害者としての被害者に対する気遣いが、現在の日本人にあるかというと大いに疑問を感じます。 国際間の関係は、自分の歴史を知り相手の歴史を尊重し、お互いの過ちを自らが認識することから始まります。自分の国家の歴史を知らなかったり、知ろうとしなかったりすることが、新たな誤解を生み出していきます。自分はどこから来て、どこに向かうのか。自分の両親や祖父母の歴史を知らずして、自分の時間軸での存在は認識できません。国家の未来を考えるにも、国家の歴史を認識する以外に国家の未来を目指すことはできません。 日本のアジアに対する戦後問題は、不幸にも歴史に操られた日本国民の戦争に対する責任放棄に始まっています。日本人がアジアの占領地域でなにを行ってきたかを日本人は、政府も国民もその事実を隠匿し、明らかにすることはありませんでした。日本の国民が戦争の悲惨さを語るのは、日本人のアジアに対する行いのことではなく、日本人が望み自ら起こした日本人の悲惨な戦争被害のことです。アジア国民から考えれば、加害者である日本人がなにを行ってきたかの真実を明らかにしないで、反省しているとは到底思えないし、加害者が被害者にどんな悲惨な人生を強要したかを明らかにしないで、戦争は悲惨だと言うとは何たることかと考えるでしょう。謝罪とは、単に謝ることではありません。あまりにも悲惨な行いをしてきたために、日本人は加害者として事実を明らかにすれば、現在の日本人は過去の日本人の人間を人間として考えなかった行ないのおぞましさに恐怖することになるでしょう。事実を隠しつづけて、日本人が過去にアジア国民に対して何をなしてきたのかを教育として教えない限り、謝るだけの日本をアジアは絶対に許してはくれません。日本がいくら平和といっても、過去の日本人の悪行を隠し続ける限り、日本が言う戦争の悲惨さや平和への願いをアジアは決して信じてくれません。勝手に自分から起こした戦争の加害者の悲惨さは語っても、被害者の悲惨さを語らない日本の言うことなど、アジア国民は21世紀になっても信頼しないでしょう。 過去の日本人の負の遺産が、21世紀も日本の若者を苦しめることになる悪循環から脱却する日本人の勇気を期待したいものです。 公開コンテンツ「日本の化学兵器の中国遺棄問題」 公開コンテンツ「危機意識なき日本」 臥龍通信第112号「日本の戦後と靖国問題A」 臥龍通信第111号「日本の戦後と靖国問題@」 臥龍通信第109号「東シナ海ガス田問題」 臥龍通信第108号「中国から見た日本」 臥龍通信第106号「最近の中国対立」 臥龍通信第98号「日本の対中貿易」 臥龍通信第96号「中国のイネルギー戦略」 臥龍通信第94号「日本の教育」 臥龍通信第90号「韓国技術エリートの台頭」 臥龍通信第87号「IMDと社内大学」
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| 中嶋経営科学研究所 所長 中 嶋 隆 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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