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臥 龍 通 信 第71号 <2004.03.12発行> http://www.Nakajima-MSI.com |
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| ◆ 臥 龍 通 信 第71号 ◆ 日本近代史の分岐点 |
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| 日本近代史の分岐点 日本の近代史には、いくつかの歴史的な分岐点があります。 現在の日本の状況を決定する過去の重大な歴史の分岐点に日本人はどう意思決定をしたのか。 歴史的な日本の国民と政府の意思決定の結果が現在の日本を決定しています。 因果の連鎖という思考過程の分析方法は、人間の思考やコンピュータのプログラムの分析から具体的な企業経営や国家経営の分析だけでなく、国家の歴史分析にも適用できる考え方です。 ある重要な歴史の分岐点の意思決定プロセズが"もし違った意思決定がなされていれば"、当然因果の連鎖としての日本の歴史は大きく変わっていたと考えられます。 歴史に"もし"という言葉はありませんが、あえて日本の近代史の分岐点を"もし"という言葉を使って、過去の意思決定の違いが、いかに違う日本の歴史を生み出すのかを今回は考えてみようと思います。 物理学で言う次元はパラレルワールドになっており、違う次元には違う世界と意思決定があり違う歴史があると考えられますが、その違う歴史を日本の近代史の分岐点で違った選択をした場合の日本の歴史を今回は考えます。 日本の近代史の分岐点 1.明治政府の誕生 日本は1868年(明治1年)に、徳川幕府の封建制度の時代から明治政府の近代国家体制の時代に移行しますが、この明治政府の成立が50年でも遅れていたら、日本はどうなったかを最初に考えます。 日本民族が生まれながらの身分と階級に固定された人生を送る日本の封建制度の崩壊が、明治政府による1868年ではなく、50年遅れた1918年ごろに始まっていたら、日本の歴史は大きく変わっていました。1894年の日清戦争もなく、1904年の日露戦争もなく、1910年の日韓併合もなく、1914年に勃発した第一次世界大戦の時代にも、日本は封建制の徳川幕府が支配する国家として存在したことになります。 例えば明治維新が10年でも遅れて1978年から始まっていれば、16年後の日本は日清戦争に勝利していたかは疑問になります。日清戦争に日本が敗北していたら、その後の日本の歴史も大きく変化するのです。 日本の歴史における封建国家から近代国家への国家体制の移行が、もし50年遅れれば日本は朝鮮半島の支配権を中国の清と争い日清戦争をすることも、その後の朝鮮半島の支配権をめぐってロシアと日露戦争をすることもなかったでしょう。 薩長軍にも敗れたほどの徳川幕府の軍事力では、当時の清やイギリスやアメリカやロシアにとても対抗できるものではなく、日本の近代化が50年遅れていれば、日本は朝鮮半島や中国大陸の支配をするのではなく、欧米や清の圧力で逆に植民地の歴史をたどり、最初は中国の清に、後にアメリカに沖縄と対馬を割譲し、北海道をロシアに割譲することにもなったでしょう。 日本が建国した満州国は当然、南下するロシアの支配するところで、朝鮮半島もロシアの支配するところになったでしょう。さらに悪いシナリオは当時フィリピンを支配したアメリカに九州か四国を保護下に置かれるシナリオです。植民地戦争に出遅れたアメリカのアジア進出は急激でしたから、日本の近代国家としての独立が50年遅れていれば、日本の領土は北海道(ロシア)、沖縄(アメリカ)、九州または四国(アメリカ)を失った本州とだけの領土になったかもしれません。 しかも、1939年に始まる第二次世界大戦に日本は参戦する能力も考えられませんから、 第二次世界大戦後のアメリカとソ連の冷戦下で、旧満州国と朝鮮半島と北海道を支配するソ連と日本を保護下におくアメリカとの熾烈な激突がアジアの日本の九州や東北地方で生じたはずです。 日本の近代化が"もし"50年遅れていた場合、日本のアジア侵略はありえませんが、日本は欧米に分割され、場合によってはアメリカの州として統合されていたかも知れません。歴史が少し変われば、中国や朝鮮半島の韓国・北朝鮮、さらに東南アジア諸国に対する侵略の負い目をおわずにすんだかもしれませんが、一方ではアメリカの州として日本州があって、我々は現在英語を話すアメリカ国民である可能性もあったわけです。当時の時代は公民権運動以前のアメリカですから、アメリカは黒人の下で働く日本人と日本州という新たな歴史を生み出していたかもしれないのです。 2.日清戦争 日本は朝鮮半島の支配権を争い中国の清と1894年から1895年まで戦います。日本は戦争を勝利して、朝鮮半島の支配権を把握して、中国の清から多額の賠償金と中国の領土である遼東半島(後に三国干渉で失う)と台湾を日本の領土として獲得します。日本が"もし"この日清戦争に負けていればどうなったかを考えます。 日本が日清戦争に敗北していれば、当然逆のことが考えられます。多額の賠償金と日本の領土の割譲です。日清戦争の敗北は多額の賠償金で政府財政と国民生活を圧迫し再軍備は不可能になり、日本の領土の沖縄と対馬を中国に領土として取られ、朝鮮半島の支配権を失う結果となり、日本が大陸に侵略することはできなかったでしょう。日清戦争で日本が敗北していれば、当時の世界最強のロシア・バルチック艦隊と戦うのは中国の清で、朝鮮半島はその後にロシアと清との戦争が勃発したと思われます。南下政策をとっていた当時のロシアは日清戦争に敗北した日本に北海道の領土割譲の要求をし、フィリピンを支配下におくアメリカの日本に対する領土割譲の要求もあったと考えられます。アメリカは九州か四国の領土割譲を要求したでしょう。また、アメリカは清に台湾や沖縄の領土割譲を要求したはずです。割譲した領土を取り戻すためには、戦争して勝つこと以外には戻ってこない時代ですから、朝鮮半島はロシアに支配され、北海道もロシアに割譲され、沖縄や四国はアメリカに割譲され、場合によっては九州まで失うことになったかもしれません。 具体的に考えると、日本の日清戦争の敗北結果は、アメリカはフィリピン・台湾・沖縄と場合によっては、九州か四国を領有し、ロシアは旧満州地域・朝鮮半島・北海道の半分か全部を領有することになったでしょう。現在の日本を考えると奇跡としか言いようのない戦争勝利が歴史にはありました。 3.日露戦争 日本は日清戦争に勝利して、朝鮮半島から満州地域に支配権を拡大していきます。この当時に中国や朝鮮半島に南下してくるロシアとの対決が、1904年から1905年の日露戦争です。日本はこの戦争で中国の旧満州地域や朝鮮半島の支配権を確立して、ロシア領土の樺太半分を日本の領土として獲得します。日本が"もし"この日露戦争に負けていればどうなったかを考えます。 日本は日清戦争に勝利して、朝鮮半島の支配権を握りますが、日露戦争に勝つまでは日本の朝鮮半島の支配も満州地域の支配も確立しませんでした。この日露戦争の勝利で、日本は中国の満州地域や朝鮮半島の支配を確立させ、ロシアの樺太の領土を獲得します。 もし、日露戦争に敗北していれば、日本は中国や朝鮮半島の支配権を失い、北海道の少なくとも半分はロシアの領土として割譲することになったでしょう。ロシアは中国の満州地域と朝鮮半島の支配を確立して、北海道にまで領土を広げることになったと考えます。 日清戦争で勝利した清も台湾をアメリカの圧力で失い、日本も沖縄を失うかもしれません。 日露戦争に敗北した場合に考えられる大きな変化は、後に衝突するだろうアメリカとの戦争がなかったということです。中国の満州地域の支配権をめぐって、日本は日露戦争後にアメリカとの対立を激化させていきます。日露戦争に敗北していた場合、日米戦争は起こりえません。 また、日露戦争の敗北によってロシアの影響下に置かれる日本は、アメリカの侵略に対抗してロシアとの連携を深めたかもしれません。そして、ロシア革命後のソ連との関係が密接になって、現在の日米関係とはかなり違う日本になっていたかもしれません。アメリカに対峙する社会主義国家日本のシナリオも歴史的には可能性があったのです。 日本は、@明治政府の成立(1868年)、A日清戦争(1894〜1895年)、B日露戦争(1904〜1905年)の3つの歴史的な分岐点で、日本は奇跡ともいえる改革と勝利を獲得してきました。アジアの遅れた貧乏国の日本が奇跡的な国内改革と近代化を推進し、欧米国家と戦って勝利することなど、植民地化されていくアジア諸国にとって考えられない快挙をアジアの小国である日本が成し遂げました。アジアの小国日本が清と戦い勝利し、大国ロシアにも勝利することはアジアの植民地諸国には衝撃であり、希望でありました。 その後、日本最大の歴史的な分岐点である太平洋戦争で、日本は大敗北を経験し、獲得した植民地を全て失います。そして、日本は太平洋戦争後さらに米ソ対立構造の中でアメリカの支援によって奇跡的といえる復興を成し遂げます。 日本が現在の領土や国家としての独立を維持してきたことはまさに奇跡であると思います。明治政府の改革が50年遅れなくても、10年や20年の遅れで日本は日清戦争にも日露戦争にも敗北するという過酷な試練の歴史を日本民族に経験させたはずです。歴史はアジアにおける最も熾烈な米ソ対決の拠点を日本にするシナリオを用意しており、朝鮮戦争やベトナム戦争の悲劇は、まさに日本の悲劇ともなりえたのです。日本民族の歴史的な選択が国民の国益になった選択であったかは、今後のさらなる検証が必要でしょう。 弱肉強食の世界領土分割の時代にアジアで欧米諸国に挑まれる戦争という方法でしか国家の独立を維持できなかった時代があったことや日本は民族の存亡をかけて欧米帝国主義に真正面にぶつかり戦ってきたということを日本人は忘れてはいけないと思います。欧米に正面から戦いを挑まれ、欧米と民族の存亡をかけて戦った中国と日本が、欧米にとって現在もアジアの2大勢力としての認知されているのは偶然ではありません。中国は欧米の列強に侵略されましたが、やがて中国国内から他国を排除して、朝鮮半島とベトナムでは世界最強の米国軍を敗退させました。アジアの歴史的な宗主国である中国の存在は現在でも世界戦略として重要な意味を持っています。 日本は奇跡のような歴史の偶然によって、領土を大きく失うことなく欧米の世界分割の時代を乗り越えてきました。現在進行するのは世界的な経済戦争による世界市場の分割です。科学技術の発展によって、植民地支配というコストのかかる人民と領土の支配は市場支配という経済力中心の国家政策に移行していきました。植民地支配の経済コストは膨大で、植民地支配より経済的な市場支配の方がはるかにコストがかからず利益が大きい時代となったのです。現在の時代は戦争による問題解決の方法は制限され、合法的な経済戦争による市場支配が主流になりましたが、いまだに戦争という手段が国際間の問題解決の手段として完全放棄されたわけではありません。 人類の歴史の中で、多くの民族と国家が滅亡して歴史から消えてきました。現在の日本はまさに奇跡のような歴史の偶然によって存在しつづけています。どんなに民族が覚悟し努力しても時代が味方しなければ、その民族や国家は簡単に滅亡してしまい、人類の歴史から消え去ります。インカやマヤやアイヌやアメリカ・インデイアンが滅びたように、日本も滅ぶ寸前の歴史の狭間を生き抜いてきたのです。 日本民族は無慈悲な人類の歴史の中で絶妙なタイミングで改革と戦争を選択して、現在の日本があるのです。 歴史上の難しい分岐点に対して日本民族の存亡の勇気をもって選択し、時代と戦ってきた日本民族の歴史はほんの少しの改革や戦争の決断の遅れで、歴史を大きく変えるものでした。現在の日本の領土と民族的独立を維持できたのは、過去の日本人民族の存亡をかけた勇気と決断の結果です。 そして、過去の日本の歴史的な幸運が21世紀も続くとは限りません。日本の領土と国家は決して失われることはないと錯覚している日本人が多くいますが、現在の日本はまさに歴史的な奇跡の上に成り立った存在なのです。歴史的な幸福に恵まれた日本人は、強大な大国の侵略に千年以上もさらされた朝鮮半島の韓民族の歴史的な不幸など考えられません。他民族に侵略され支配され、過酷な歴史を生き残る朝鮮半島の韓民族や中国大陸の漢民族の苦難の歴史など日本人には理解できないかもしれません。 他国に起こったことでも、日本には起こらないと歴史を甘く考えるのは、先進国でも日本だけでしょう。日本社会に蔓延する個人や企業や政府の「危機管理」の甘さは、「他人には起きても自分には起きない」と考えてしまう日本人の国民性ではないかとも考えてしまいます。 日本民族の生存をかけた欧米との対決の時代に、過酷な歴史と戦った過去の日本人の勇気と決断を考えると、現在の日本人が21世紀の人類社会に対して勇気をもって国家と民族の決断ができるのか、とても疑問に感じます。 21世紀の日本民族と国家のビジョンが見えてこない現在の日本は、時代に押し流されるだけで、時間を無駄にして勇気も決断もなく、まるで時代を漂流しているかのようです。現在の日本がどのような歴史的分岐点に位置しているかという日本人の想像力は確実に必要になってきました。21世紀の日本を創造する日本人の歴史的な想像力がいまこそ求められています。 |
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| 中嶋経営科学研究所 所長 中 嶋 隆 | ||||||
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