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臥 龍 通 信 第137号 <2006.04.20発行> http://www.Nakajima-MSI.com |
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| ◆ INDEX ◆ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◆ 臥 龍 通 信 第 137号 ◆ 20世紀から21世紀へ ◆ Nakajima-MSI INFORMATION ◆― 臥龍通信入退会のご案内 |
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| ◆ 臥 龍 通 信 第137号 ◆ 20世紀から21世紀へ |
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| 20世紀から21世紀へ 人類の歴史で、20世紀ほど悲惨な時代はありません。人類が世界規模で戦争を起こし、人類社会が相互の信頼心を失って、際限なく残酷にかつ卑劣になっていった時代でした。そんな、20世紀を乗り越えて人類社会は、新たな21世紀を迎えています。人類の歴史における20世紀の反省は、21世紀には十分に生かされなければなりませんが、そのためにも20世紀がどんな時代であったかを再検討し、20世紀の総括を今回はしてみたいと思います。 戦争の世紀 20世紀の最初の悲劇は世界規模で戦争する第一次世界大戦の勃発です。そして、日本では太平洋戦争とも呼ばれる第二次世界大戦の勃発です。第一次世界大戦と第二次世界大戦という世界規模の戦争は、人類の歴史上でも経験のない大量の破壊兵器で、世界規模の大量殺戮を展開し、多くの非戦闘員である民間人まで犠牲にした残忍で卑劣な戦争でした。世界大戦以後も、アジアでは朝鮮戦争やベトナム戦争と戦争は継続しました。20世紀はまさに戦争の世紀と言うべき時代だったのです。そして、21世紀になってもアフガン戦争やイラク戦争など、戦争は21世紀になってもなくなりはしませんが、20世紀のような世界大戦は幸いながら起きていません。戦争の世紀であった20世紀の反省を21世紀に生かすためには、20世紀の人類の愚かさや残忍さや卑劣さを十分に認識して、21世紀に戦争の世紀の反省を生かさなければなりません。 人類の歴史は戦争の歴史であり、人類が言う平和とは戦争と戦争の間の時代にすぎないという意見もありますが、それほど人類は歴史的に戦争をし続けてきました。人類は平和と安定の中で生きていくのか。また、人類は戦争と変化の中で生きていくのか。人類の進化は競争と衝突の中で生まれるというのも真実です。人類の戦争によって建設された大帝国の歴史的貢献はいまさら問題にするまでもありませんが、異民族の多様性を統合する大帝国の統治は人類の進化に大きく貢献したことを誰も否定しません。ユーラシア大陸で覇権を争った大帝国の戦争も悲惨であったのですが、大帝国の多様性の統治が人類の進化に大きく貢献してきたのです。歴史的な大帝国を築いた民族は他民族の多様性を統治する能力があったから大帝国を建設できました。 大帝国の崩壊 その歴史的な大帝国が停滞し、国家制度が腐敗した20世紀に、新興勢力であった欧州や米国という大帝国の歴史も経験もない国家が勢力を増して、世界を分割し始めます。歴史的な大帝国に代わって、20世紀の中心的な立場になった新興国家は、大帝国統治の経験もなく他民族支配を拡大し、世界的な振興国家勢力同士の世界的な戦争が勃発します。20世紀の新興勢力であるフランスやドイツやロシアや米国などは、スペインや英国などの植民の再分割を要求して、相互に戦争を始めます。アジアでは新興勢力の日本が台頭します。20世紀は大帝国の他民族の存在を認める多様性の統治ではなく、大量破壊兵器を使って非戦闘員を殺戮し、占領地を破壊しつくす、他民族の存続を認めない統治を行う新興国家が世界的な領土の再分割のために新興国家相互が関係ない占領地人民まで巻き添えに戦争をしました。フィリピンではフィリピン人の存在を無視して米国と日本が戦い、インドネシアやベトナムではインドネシア人やベトナム人に関係なく、フランスと日本が戦いました。当時のアジア人は、勝者の植民地でかまわないから、勝者を決める戦争はどこか他のところでやって、自分たちには関係ない大国の戦争にアジア人を巻き込まないで欲しいと考えたはずです。 日本人は他民族との戦争の歴史的経験が少ないから、アジアの人々の苦労は理解できません。分かりやすく説明すれば、中国と米国が日本の支配権を争うことはないと思いますが、もし中国と米国が日本の支配権を争った場合に、中国軍と米国軍が日本で支配権を争う戦争を始めたら、日本人は中国と米国の銃弾や砲弾の中で生活することになります。勝敗がつくまでは、どちらからも保護されず存在を無視された中で日本人は他国の戦争の犠牲になって行きます。破壊されるのは中国や米国の都市や農地ではなく日本の都市や農地なのです。中国と米国の戦闘で荒廃していく日本で、日本人は生命の危険の中で住むところも食べるものもなく、荒廃した日本を流浪するしかありません。そんな戦争を日本はアジアで繰り広げました。 大帝国の統治は、いずれ統治する帝国の財産でもある他民族を殺すことでも、他民族の領土を破壊し荒廃させることでもないということを、20世紀の新興国家は大帝国の経験のなさから理解していませんでした。ただ、最近の米国を見ていると大帝国の他民族統治の多様性をいまだに理解しているとはとても思えません。人類社会の民族の多様性の共存ではなく、全世界に対する全民族国家の米国化を要求する米国は、21世紀も大帝国にはなれそうにありません。米国人は米国の価値観による米国化が世界平和の手段として最良の方法と考えているかもしれませんが、人類社会の多様性を持ち続けようとする国家は決して世界の米国化を強要する米国を認めないし、いずれは反米国の巨大な勢力を組織する結果になるでしょう。 歴史的な大帝国には多くの共通点があります。まず、単一民族の力だけでは大帝国の建設はできないという事実です。大帝国はその時代に最も効率的な軍事システムと社会システムを構築し、異民族の言語や文化や宗教や価値観などの多様性も容認する統治者が大帝国の統治者となりました。中国の歴史を見ても、漢民族だけでなくモンゴル族や女真族であっても中国の統治者として大帝国を建設しました。中国人は大帝国の統治者は民族に関係なく、帝国の人民の生活の安定と平和を維持できる者こそが大帝国の統治者であって、よき統治者であれば中国人は英国人でも日本人でも統治者として容認したでしょうが、日本は中国で15年以上も戦争をしていた破壊者であって、中国人の生活の安定と平和を約束する大帝国の統治者ではなかったのです。 日本の義務教育では、ほんとうに第二次世界大戦のことを教えません。特に、日中戦争については、ほとんど教えません。終戦当時に中国大陸には、満州に日本の軍隊である関東軍の約78万人の軍隊があり、その関東軍はソ連軍の攻撃で満州の日本人民間人を守ることなく短期間で崩壊し、崩壊した関東軍以外に中国本土には日本の陸軍が約105万人、海軍が約7万人の合計約112万人の軍隊が中国大陸に展開していました。1937年から本格化する中国と日本の戦争は中国大陸で、8年間を日本は100万人以上の軍隊を派遣して、中国本土を破壊しつくし、中国の民間人を戦争の巻き添えの犠牲にして、日本の戦死者は約19万人を超え、負傷者は戦死者の数倍にもなりました。中国共産党と国民党の軍隊と中国大陸で8年間戦争を続けた日本軍は、1965年から本格化したベトナム戦争の約4倍以上の規模で悲惨な戦争を中国大陸で展開しました。日本人はベトナム戦争の悲惨さを知っていますが、日本の日中戦争の悲惨さを知っている日本人は今では少なくなりました。ベトナム戦争では米国軍の戦死者は約5万8千人で、日中戦争の約19万人よりはるかに少ないのですが、米国はあまりの戦死者にベトナムから撤退しました。米国は日本との戦争には勝っても、同じアジアの朝鮮戦争では中国軍100万人の参戦で、日本を屈服させた米国軍の実力でも朝鮮半島を統一することはできませんでした。そして、ベトナム戦争でも米国は敗退してしまい、武力による統治の限界を米国は学習したはずですが、いまだに弱い国家には武力による恫喝を続けています。米国は世界戦略では歴史に学ばない、ほんとうに懲りない国家だと思います。 まさに、20世紀は大帝国の品格のない新興国家による戦争の世紀でした。新興国家相互の戦争被害も甚大ですが、戦争に関係なく巻き込まれた多くの国家と人民の被害を、戦争を始めた新興国家は深く反省しなければなりません。そして、21世紀は20世紀の過ちを再び犯してはならないのです。 植民地経済から市場経済へ 歴史的に考えれば、限られた世界から新たな世界へ船出して行ったスペイン、ポルトガル、オランダ、英国などは、武力で侵略できる地域は支配下に置き、海外に広大な植民地を築きました。そして、出遅れたフランスはナポレオンの登場で、自由と平等と博愛を旗印に、王政国家に戦いを挑み、欧州全体の戦争に巻き込みます。モンゴル帝国の遺産を引き継いだモスクワ公国はロシア帝国として広大な領地を支配し、ドイツも台頭します。20世紀に台頭した新興国家のドイツ、ロシア、日本、イタリア、米国がそれまで大国であった英国やフランスや中国などを巻き込んで、新たな世界領土分割のための戦争を始めます。20世紀に世界分割の対象となったのは、中東であり、アジアでした。植民地戦争は、植民地にされる側の人々の存在を無視して、大国間で植民地の奪い合いの戦争を場合によっては、植民地で展開しました。ある日、突然に知らない軍隊が自分たちの住む場所で、住んでいる人々に関係なく戦争を始めるのですから、アジアや中東の人々には大変な迷惑であり、戦争に巻き込まれる被害を受けたのは植民地に住んでいる人々でした。 そして、20世紀の世界的な戦争を経験して、多くの植民地が独立していきますが、大国がなぜ植民地支配をやめて植民地の独立を認めたかといえば、大国の博愛精神などではなく、明らかに植民地政策が経済的でなくなったためでした。大国が植民地を奪い合った20世紀は、一方では科学の世紀でもあったのです。急速な科学技術の発達が、大国の生産性を急速に向上させて、植民地の人間の生産性を大きく超えた生産性を大国は近代工業生産で可能にしました。植民地支配は軍隊を派遣して、様々な植民地統治の費用を超える利益がなければ、大国といっても植民地支配は望みませんが、植民地を支配する利益よりもはるかに大きな利益を20世紀の大国は近代工業生産で獲得する時代になりました。日本が中国に派遣した100万人を超える軍隊の戦争経費は、1年間で現在考えると約20兆円以上の国民の税金負担による経費が必要で、少なくとも日本は1年間の戦争経費の20兆円を超えるほどの中国から奪う利益がなければ軍隊を派遣して戦争などできません。植民地における人間や土地や資源の支配は費用がかかり、利益がなければ植民地統治は継続できない時代から、植民地がなくても近代工業生産によって植民地統治よりも多くの利益を上げられる時代が20世紀でもありました。植民地統治よりも近代工業生産のほうが、はるかに大きな利益を国家にも国民にももたらすということは、20世紀に日本の戦後復興が証明しました。戦争によって、すべての植民地を失った資源のない日本が世界第二位の経済大国に復活したのは、近代工業生産の成功が植民地支配より勝っているという証明でもありました。 植民地支配の終焉が訪れようとする時代を最初に感じ取ったのは、近代工業生産を最初に成功させた英国でした。英国の植民地から独立した米国は英国と同様に近代工業生産の時代に、植民地として支配されている地域への輸出の自由を目指していました。膨大な米国の工業生産品の世界への輸出が植民地支配より大きな利益を生みますが、大国が支配する植民地のままであれば、米国の自由な貿易による莫大な利益は望めません。米国の世界戦略は、植民地の支配権というよりは植民地に対する自由な貿易による莫大な利益が目的だったといえます。米国は植民地支配という古い考え方で植民地支配を目指すのではなく、米国の工業製品を世界中に買わせるという、世界規模での資本主義市場の獲得が目的であったといえます。米国の日本統治は、日本から奪えるだけの資源を奪い、日本人を奴隷のように働かせるのではなく、日本人が自分たちのために働き豊かになり、米国の製品をたくさん買って米国に大きな利益をもたらす存在になって欲しいという、20世紀の新たな市場経済統治でした。植民地として奪いつくすのではなく、統治する人々を豊かにして、市場経済として多くの米国商品を買ってもらい、米国に多くの利益をもたらす米国市場としての日本人の豊かさが必要だったのです。植民地の土地を奪い、人々を支配し、植民地から奪えるだけの資源を奪う植民地支配とは、まったく違う20世紀の市場経済支配の統治がまさに日本で成功しました。 統制経済から市場経済へ 20世紀は戦争の世紀であり、一方では市場主義経済が全世界に拡大される時代でもありました。植民地支配よりはるかに大きい利益を生む資本主義経済の市場拡大を大国は目指しますが、市場主義経済の拡大に反対する大きな勢力が20世紀に台頭します。共産主義経済のソ連や共産中国です。自由な市場経済を否定し、統制された計画経済を主張する共産国は米国を中心とする自由主義の市場経済と熾烈な衝突を繰り返します。実は、両方とも正しかったのですが、20世紀は両極端に偏った陣営としてソ連と米国が対峙しました。資本主義の当初は統制された計画経済でなければ資本主義は発展しません。十分な資本主義経済の発展が成功した段階では、自由主義の市場経済へ移行しなければ、また更なる資本主義の発展はありません。日本の復活の当初は、政府の統制による傾斜生産方式を採用した重点的な国家産業投資が必要でしたし、ある程度の所得が国民に確保されるまでは、社会主義的な所得分配の国民保護も必要でした。日本人は自分たちのために一生懸命働き、豊かになる段階で段々と政府の統制による規制を緩和して自由な市場経済へと移行していきました。 経済発展は統制経済か、市場経済かではなく、経済発展には両方が必要だったのですが、20世紀の末までは理解されませんでした。国家の経済発展には統制経済と市場経済の両方が発展段階として必要であったことは、日本が証明しましたし、現在では中国が証明しています。中国は人民も統治も日本の10倍以上の規模ですから、日本の経済発展の時間軸とは違いますが、明らかに統制経済から市場経済へと移行しています。日本が1970年代に経済的に大躍進を始めたころの勢いが現在の中国にはあります。中国は2千年以上も経済的な民族でしたが、百年の歴史もない共産主義の時代などで中国人が変わってしまうとは、私は考えません。中国人は歴史的に経済民族であり、共産中国の時代はまさに中国の経済発展の初期段階における国家統制経済に過ぎないと思っていましたが、どうやら私の見解は間違っていなかったようです。21世紀は中国が唸りを上げて市場主義経済に参加してくる時代になるはずです。日本の10倍以上の米国の輸出相手となる可能性がある中国と中国の重要な輸出相手国の米国がうまく協力すれば、中国と米国は世界最大の貿易国家として21世紀に繁栄するでしょう。戦争する不利益と貿易をする利益を知ってしまった米国と中国は相互繁栄の最大のパートナーとなる可能性は十分にあります。 米国の貿易相手国 2004年の米国の貿易相手国で、日本は約542億4千万ドル(6.6%)で中国本土は約347億4千万ドル(4.2%)にまで拡大しており、香港の約158億3千万ドル(1.9%)をあわせると、中国は約505億7千万ドル(6.1%)になり、中国は毎年20%以上の貿易伸び率ですから、2005年予測では、米国の貿易輸出額は中国に対する貿易額が日本の貿易額を超えるようです。中国圏(中国本土・台湾・香港)で考えると、台湾の約217億4千万ドル(2.7%)を加えた中国圏の合計は約723億1千万ドル(8.8%)で、英国の約360億ドル(4.4%)、ドイツの約314億2千万ドル(3.8%)、フランスの約212億6千万ドル(2.6%)、日本の約542億4千万ドル(6.6%)を超えて、米国の貿易輸出相手国として、欧州や日本以上に重要な貿易相手国となりました。2008年までには、米国の輸出は中国本土単独で日本に対する貿易輸出を超えることは確実になりました。日本が気づかない間に、中国は米国にとって、日本以上に重要な貿易輸出相手国となっているのです。また、米国の貿易輸入相手国でも、中国圏は英国の約5倍、ドイツの約3倍、日本の約2倍の米国の重要なパートナーになっています。 米国の貿易輸出相手国(2004年) 中国圏 約723億1千万ドル(8.8%) 中国本土 約347億4千万ドル(4.2%) 台湾 約217億4千万ドル(2.7%) 香港 約158億3千万ドル(1.9%) 韓国 約264億1千万ドル(3.2%) 日本 約542億4千万ドル(6.6%) 英国 約360億ドル(4.4%) ドイツ 約314億2千万ドル(3.8%) フランス 約212億6千万ドル(2.6%)、 米国の貿易輸入相手国(2004年) 中国圏 約2406億1千万ドル(16.4%) 中国本土 約1966億8千万ドル(13.4%) 台湾 約346億2千万ドル(2.4%) 香港 約93億1千万ドル(0.6%) 韓国 約461億7千万ドル(3.1%) 日本 約1298億1千万ドル(8.8%) 英国 約462億7千万ドル(3.1%) ドイツ 約772億7千万ドル(5.3%) フランス 約316億ドル(2.2%)、 21世紀の世界 21世紀は植民地から富を奪いつくす植民地経済の時代でも、統制経済と市場経済が対立する時代でも、戦争の世紀でもありません。人類社会は初めて自由主義の市場経済という戦争を嫌う統一した経済発展の考え方を共有し始めています。国家を統治する形態が王と貴族が存在する統治であろうと民主主義の議会制であろうと、すべての国家が自由主義の市場経済を目指す時代が来たのです。戦争をしていては決して実現できない安定した市場主義経済は、21世紀に人類社会からさらに多くの戦争をなくしていくでしょう。戦争がどれだけ多くの国家の経済活動にマイナスになるかを知ってしまった以上は、一部の国家の武器産業と武器商人の繁栄のためだけに戦争することは少なくなるでしょう。 国家の繁栄は、領土の広さや資源の豊富さや人民の数などが重要ではなく、国民全体の徹底した高度な教育による高度な工業製品生産やサービスであることは、戦後の日本が証明しました。そして、高度な教育による高度な工業生産やサービスが確保されれば、資源の豊富さや人民の数は限りなく国家繁栄に加速度的な貢献をしていくことは、現在の中国が証明しています。人類社会は理由なき民族蔑視や資源や領土で争う愚かさと市場経済に与える戦争のマイナスを十分に経験しました。領土や資源を確保しても、一時の繁栄を維持するだけで、ポルトガルやスペインがその歴史的証明でもあります。国家の富とは人間の高度な教育による高度な製品生産であり、高度なサービスであることは日本が歴史的にも証明しました。国民の知的能力を限りなく高めていく努力が国家を繁栄させる最も重要な手段であることを日本人は知っています。どんなに運動能力があっても、知的能力が必要ないほど運動選手の世界も甘くはありません。野球もサッカーもゴルフも高度な知的能力がなければ成功はできません。映画や演劇などの芸能も高度な知的能力が必要です。そして、日本社会の様々な裏方といわれる人々にも高度な専門知識が必要です。野球のグランドやゴルフ場を整備する裏方は、野球選手やゴルフ選手のような高収入な成功者ではないかもしれませんが、裏方の人々の専門性ある仕事がなければ、野球やゴルフがまずできません。歌手も裏方の人々がいなければ、コンサートもできません。高収入でもなく名誉もない人々が現実の日本社会を支えています。自分の仕事に誇りを持ち、一生懸命働く人々を我々は高く評価し、勝ち組や負け組などといういい加減なことで、日本社会の裏方の人々を「負け組」と蔑んでは、電車や飛行機を整備する人々や住居である建物を造る人々さえ信頼できない社会が生まれます。 韓国の偉大なる母・田内千鶴子 日本人は、他国のことも知りませんが自国のことも知りません。反日感情をまだ強く持つ韓国人は日本や日本人を意味もなく嫌っているわけではありません。「韓国の偉大なる母」と韓国人から深く愛されている日本人の田内千鶴子さんを皆さんに紹介しておきましょう。 田内千鶴子さんは、大正に元年1912年に高知市若松町に生まれました。1919年に、千鶴子さんの父親が朝鮮総督府木甫市庁の役人だったので、母親ともに海を渡って韓国の木甫に住みました。千鶴子さんが20歳の時、父親の徳治さんが病で突然他界して、千鶴子さんの母親は、助産婦をしながら千鶴子さんを育て、女学校を卒業した千鶴子は、孤児院の園長だった尹到浩(ユン・チホ)さんと出会います。 そして、千鶴子さんは、食うや食わずの40人以上の孤児たちの世話を始めます。当時の日本人の朝鮮人に対する差別感情が大変強い時代に、千鶴子さんは尹到浩(ユン・チホ)さんとの結婚を決断します。バラック建ての孤児院で、電気もガスもない凄まじい新婚生活を千鶴子さんは朝鮮人差別とも戦いながら始めました。1945年の終戦で千鶴子さんは一度日本に帰国しますが、1947年に千鶴子さんは再び夫がいる韓国の木浦の孤児院「共生園」に戻ります。「お母さん(オモニ)が帰ってきた!」と園児たちは喜びましたが、韓国の反日を掲げる暴徒たちが、「日本人を殺せ。」と孤児院に押し寄せました。そのときに、暴徒たちの前で千鶴子さんを守ったのは孤児たちでした。「日本人であっても、僕たちのだいじな母親に何をするんだ。」と暴徒の前で千鶴子さんを数十人の孤児たちが守りました。 そして、韓国人にも理解されてきた千鶴子さんは、1950年に勃発した朝鮮戦争で南下してきた北朝鮮軍の人民裁判で、日本人であることから処刑されそうになります。「韓国の孤児のために働いている千鶴子さんを殺すなら、まず先に我々から殺せ。」と多くの韓国人住民が北朝鮮軍の銃の前に立ち、千鶴子さんは救われます。千鶴子さんは北朝鮮軍から解放されましたが、朝鮮戦争の動乱で夫の尹到浩(ユン・チホ)さんが行方不明になり、孤児院は千鶴子さん一人で守っていくことになります。1953年の朝鮮戦争停戦の時には、自分の子供4人と孤児の数は500人を超えていました。千鶴子さんは苦労しながら孤児たちを育て上げ、1963年には、韓国政府から日本人でははじめての文化勲章が授与されます。 1968年10月31日、千鶴子さんの57歳の誕生日に、千鶴子さんは3000人以上の韓国人孤児を育て上げ、苦労に満ちた人生を終えました。悲報は韓国全国を駆けめぐって、木甫市は韓国人でもない千鶴子さんを初めての木甫市民葬とすることを決定しました。千鶴子さんの葬儀には韓国全土から成長した孤児ばかりでなく、木甫市長など韓国人3万人が参列し、千鶴子さんの死を悲しむ韓国人の列は延々と続いていたと言います。その日の韓国の新聞紙は、「韓国人の偉大なる母、田内千鶴子さんの死に、木甫が泣いている。」と千鶴子さんの死を報じました。千鶴子さんの守ってきた孤児院「共生園」は現在も、長女から孫に引き継がれて、現在も多くの孤児を守り続けています。韓国人はどんなに日本を嫌っても、3000人以上の韓国人孤児を育て上げた田内千鶴子という偉大なる韓国の母に深く感謝し、決して千鶴子さんの存在を忘れることはありません。毎年、千鶴子さんの命日には今も多くの韓国人が千鶴子さんの墓を訪れます。日本人から愛されることも、理解されることもない「偉大なる韓国の母・田内千鶴子」への感謝を韓国人は今も忘れることはありません。 自分に打ち勝ち、競争して日本一や世界一を目指す生き方も、競争ではなく自分の専門性をただ高めていく生き方も、多様な生き方を認める日本社会がいまこそ必要です。日本国民のすべてが、なにものにも挑戦せず暇をもてあまし遊ぶことばかり考えるのではなく、また勝ち組という幻想を追い求めるのでもなく、それぞれの立場で様々な能力獲得に挑戦していく社会であれば、日本はどんなに安全で安心した社会になるでしょうか。私は日本人を信じるのではなく、まずすべての人間の可能性を信じます。他人との競争ではなく、人間の様々な能力に対する自分との戦いを覚悟し、そんな努力する人間の挑戦を受け入れる多様性の社会を日本人は実現できるはずです。日本には世界に誇る資金と人材があるのですから、今頑張れば世界で最も理想的な社会を実現できるはずです。社会的な地位や年収や名誉は、個人の努力の結果であって目標ではないのですから、社会的な地位や年収や名誉がなければ生きている意味も価値もないという「勝ち組・負け組」の生き方を日本人は捨てるべきなのです。社会的な地位や高い年収や名誉がなくても、人に尊敬される生き方はいくらでもあるのですから、人間の生き方の原点に戻って、21世紀の日本に向かって再スタートする日本人の知性を私は期待します。 参考文献: 臥龍通信第66号「年金問題の本質」 臥龍通信第117号「独裁政治への道(郵政民営化法案騒動)」 臥龍通信第121号「郵政民営化法案の欠陥」 公開コンテンツ「日本の官僚主義」 公開コンテンツ「厳しい国家財政」 公開コンテンツ「日本の化学兵器の中国遺棄問題」 公開コンテンツ「危機意識なき日本」 臥龍通信第112号「日本の戦後と靖国問題A」 臥龍通信第111号「日本の戦後と靖国問題@」 臥龍通信第108号「中国から見た日本」 臥龍通信第106号「最近の中国対立」 臥龍通信第98号「日本の対中貿易」 臥龍通信第96号「中国のエネルギー戦略」 臥龍通信第94号「日本の教育」 臥龍通信第90号「韓国技術エリートの台頭」 臥龍通信第87号「IMDと社内大学」
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| 中嶋経営科学研究所 所長 中 嶋 隆 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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