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臥龍通信

臥 龍 通 信 第118号 <2005.08.15発行>
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  ◆ 臥 龍 通 信 第 118号 ◆
    戦後60年の総決算

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 ◆ 臥 龍 通 信 第118号 ◆
    戦後60年の総決算
戦後60年の総決算

日本政府と日本国民の戦争に対する統一見解の必要性
日本の戦後60年の問題で、日本に残っている最大の問題が靖国問題です。なぜ、戦後の最大問題として靖国問題が残っているかと言えば、日本政府や国民の総意としての戦争評価が日本人の手によってなされなかったことが、現在の外交国際問題として、また国内の戦争評価問題として、現在もその解決を模索するということになりました。日本政府と国民は戦争の総決算を60年経ってもできないでいることが、内外の多くの問題を生じさせています。日本の戦争に対する日本政府と日本国民の総意としての統一見解を、国内に対しても、海外に対しても示す必要があります。日本の戦争には様々な評価があると、日本政府や日本国民が、日本の国家と国民としての戦争評価を逃げるのではなく、日本政府と日本国民の戦争に対する国家と国民の統一見解を作り上げ、国家内外に違う見解や政府見解がバラバラな状況は、21世紀の国際関係を考える上でも、いい加減に終わりにしなければなりません。日本国内での統一した国民的合意を戦争問題でも作り上げることができないのであれば、外交的には海外諸国を説得することは永久にできません。

日本の戦後評価の二重性
日本の戦争の象徴的存在が、広島と靖国です。広島は日本国内の平和に対する象徴であるとともに、海外に対しても戦争を否定する平和の象徴として存在します。一方、靖国は日本の戦争正義の象徴として、日本の戦争は正義の戦争で戦争を肯定する存在として、密かに存在してきました。日本の戦争は正義の戦争であり、戦争被害や戦争犯罪は存在せず、戦争犯罪人も存在しないとする日本国民の考え方は、靖国問題を発端に広く海外にも知られるようになりました。日本は敗戦で連合国に戦争責任を認め、戦争裁判で多くの戦犯を出し、連合国に戦争責任を裁かれました。しかし、日本政府と日本国民は戦後に日本の戦争犯罪は存在しないとして、国民の総意である国会決議までして戦犯を赦免してしまいました。日本の戦争責任と戦争犯罪人は日本に存在しないと決定をした日本政府と日本国民は、海外には日本政府と日本国民は戦争責任を認め、今でも海外に対する政府見解は戦争で多大な被害と犠牲を与えたアジアに対する謝罪を表明します。日本国内には戦争は正義であったと言い、海外には戦争は不正義であったと二重の見解を使い分ける日本政府と日本国民は、戦争を不正義とする広島と戦争を正義とする靖国の二重の考え方を統一できないまま、現在もアジアの外交問題として対立し続ける原因になっています。靖国は戦争戦没者を祭っていますが、広島と長崎の原爆戦没者は国家のために死んだのではないと靖国の戦没者からは除外されています。靖国と広島はまさに日本の戦争の両極端に位置するのですが、日本では両方が存在しています。日本政府や日本国民が自分たちの戦争責任をどう考えるかを総決算して、海外と国内に二重の考え方を提示することを止めない限り、アジアでの戦争責任の問題は永久に続きます。戦後60年も経って、いまだに戦争問題を解決できない日本政府と日本国民は、21世紀のアジアの時代に向かって、勇気を持って日本政府と日本国民の戦争に対する統一見解を形成し、共有する必要があります。もうこれ以上、過去の戦争の責任でアジアと対立することは止めなければなりません。日本人の精神の広島と靖国の統一が可能か否か、日本人の真の姿を世界に示すことが、21世紀の日本のアジアでの立場を決定するのです。

日本の戦争責任
日本には戦争犯罪も戦争責任もないという考え方と、日本は重大な戦争責任があり戦争犯罪もあったという考え方が、日本社会で統一されることなく放置され、政治家まで国民の様々な意見があると政治家の見解を逃げてしまいます。日本社会の曖昧な態度は教育にも影響して、多くの学生が日本の近代史や現在史は学ばずに終わります。義務教育の現場で日本社会でも統一されていない戦争評価を、教師が子供たちに明確に教えることができないことは当然のことでした。自分たちの責任である戦争評価と判断を逃げる大人社会の無責任で、日本政府と日本国民の統一した見解を教えられることもなく、戦争教育を避け続ける義務教育の中で、21世紀の日本の子供たちはアジアに対する明確な意見が言えなくなりました。

哲学者のヤスパースは戦争責任について、4つの分類をして哲学者らしく説明していますが、私も日本の戦争責任について私なりの4つの戦争責任について考えたいと思います。
国家的戦争責任、国民的戦争責任、個人的戦争責任、人間的戦争責任の4つです。

1、国家的戦争責任
日本の戦争責任は、まず国家として戦争責任があるという考え方です。指導者や軍部というのではなく、国民全体の国家として国家の総意で行った戦争には国家として責任があるということです。そして、国家的戦争責任は国民の総意として戦争を遂行した国家指導者が具体的な戦争責任対象になります。戦争を遂行した国民の総意としての最高国家意思決定機関の構成メンバーは、当然に戦争を遂行した国民の代表として国家的戦争責任を問われることになります。戦争が終結すれば、戦勝国による敗戦国の戦争責任の追及は、国民の総意を代表して戦争を遂行した国家指導者を具体的な戦争犯罪人として裁くことになります。国家的戦争責任は、戦犯で言えばA級戦犯ということになりますが、国家的戦争責任を問わなければ、再度戦争を始めるかもしれない国家指導者と国家体制を放置することは連合軍にはできませんでした。

2、国民的戦争責任
戦争が終結して、国民の総意として戦争を遂行した国家指導者が裁かれるときに、国民の一人ひとりは国家的戦争責任を裁かれることはありません。しかし、戦争被害を与えた国家に対しての国民の総意として戦争に賛成した戦争責任は国民にもあります。従って、国民的戦争責任とは、戦争に賛成した国民が被害国に与えた多大な被害と賠償の責任を負うことになります。国民的戦争責任は国民が戦争終結後の政府に対して、戦争で被害を受けた国家に責任を持って戦後賠償を実施し、その戦後賠償の負担を国民が負うという責任です。戦争指導者は具体的な戦争遂行の責任を負い、国民は戦争の被害国に戦争賠償の責任を負うということです。

3、個人的戦争責任
個人的戦争責任とは、国民の総意として遂行された戦争責任ではなく、戦争の現場で行われた残虐行為の個人的な責任です。収容所の虐待だけでなく、非戦闘員に対する虐待行為も責任を問われます。戦争指導者の命令に関わらず、個人の良心として行ってはいけない残虐行為を行った責任は、戦争指導者だけの責任ではなく、残虐行為を遂行した個人にも責任があるということです。戦争という理由で行われた多くの残虐行為は、戦争指導者だけでなく、具体的な実行者である個人にも責任があるというわけです。個人的戦争責任は、戦犯で言えばB・C級戦犯になりますが、指導者の命令に従っただけでは済まされない残虐行為の責任が残虐行為を行った個人にはあります。命令した戦争指導者が裁かれ、命令に従った実行者が裁かれないということはなかったのです。

4、人間的戦争責任
人間的戦争責任は、戦争責任を裁かれることはありませんが、消極的に戦争に加担した人間の良心としての責任です。つまり、見て見ぬふりをして残虐行為などを容認してきた責任です。現在で考えれば、通勤の路上で見知らぬ人間がナイフで刺されているのを目撃して、会社に遅れるからと警察にも通報せず、誰かが通報するだろうと通り過ぎるようなものです。後に新聞であの時の人が死んだという記事を見て、何か気分の晴れない気持ちを持つのと似ています。日本兵士の占領地の民間人に対する略奪や暴行や殺人の現場を目撃したのは日本軍兵士ばかりでなく、多くの日本国民が目撃したはずですが、略奪や暴行や殺人を止めることなく、ただ見ているだけだったことが、裁かれませんが人間的責任として存在します。平和を口にした国民を非国民と呼び、様々な迫害を自国民にも行ってきたことを黙認する国民は、裁かれないし具体的に非難されないですが人間的な責任があると考えます。欧米のキリスト教的道徳観で考えれば、十分に懺悔に値する行為でしょう。救わなくても罪にはならないけれども、なぜ救わなかったのかの後悔をする行為が人間的戦争責任です。虐待したわけでもなく、殺したわけでもないけれども、同じ日本人が日本人や中国人や韓国人や欧米人などを虐待し、殺す行為をただ見ているだけだった行為は、誰も非難しないでしょうが、良心には恥じる行為であったはずです。戦争に突き進む日本で、「戦争はもう止めよう。」と叫ぶ勇気ある国民が数多く存在すれば、日本の戦争も違ったものになったと思います。積極的に賛成しないが、積極的に反対もしない国民は、基本的には積極的に賛成する勢力に押し切られていきます。現在の日本国民を見れば、選挙に積極的に参加しないし、現政権を積極的に肯定も否定もしない多くの無党派層が存在します。政治に賛成も反対もしないし、選挙にも行かない国民が最も多い状況は、ただ政治を見ているだけの国民が最も多いということで、戦前とまったく日本人は変わっていないのかもしれません。

最近の日本では、第二次世界大戦のアジア侵略戦争を侵略でもない正義の戦争で、日本民族の自衛のための戦争で、日本はアジアに対して侵略戦争の事実もないし、戦争責任も存在しないという国民が増加しました。自衛のための戦争であって、日本民族の存続のためにした戦争に、戦争責任は存在しないという考え方は、日本が他国から侵略されて侵略してくる軍隊と日本が日本国内の国民と財産を守るために戦う戦争であるはずです。他国に出て行かなければ戦死しないで済む海外派兵で他国領土を奪うための戦争を良識ある人は決して自国自衛のための自衛戦争とは呼ばず、侵略戦争と考えるでしょう。他国に軍隊を派遣して、他国民の生命と財産を奪う行為を侵略戦争とは呼ばず、いったいどう呼べばいいのでしょう。すべての国家は自衛戦争と宣言すれば、いつでも他国に軍隊を派遣して他国国民の生命と財産を奪ってもかまわないというのでしょうか。中国と台湾と韓国とロシアが領土問題で日本本土に軍隊を派遣した場合に不当な侵略とは考えず、領土問題の解決のために海外派兵して他国国家で戦う自衛戦争を正義の戦争と容認する日本人は日本人の生命も財産も奪われても当然の戦争と理解できるのでしょうか。日本の侵略を正当化すればするだけ、他国からの日本侵略を正当化できる理由を作っているようなものだということが理解できない日本人が本当に多くなりました。

戦争責任は、国家的戦争責任はA級戦犯、国民的戦争責任は戦後賠償、個人的戦争責任はB・C級戦犯と具体的で分かりやすく、戦争責任の議論も対象や問題が具体的です。しかし、人間的戦争責任は誰からも追及されず、裁かれることもない責任ですが、最も戦争責任の根源とも言える責任かもしれません。他人の不幸は関わりたくなく、見て見ぬふりをする国民性がもし日本国民にあるのならば、違う意見を主張する国民を弾圧する権力者に反対もせず、弾圧される国民を助けもせず、再び政治的独裁者の登場を許し、また不幸な道を歩むかもしれません。戦後60年の日本で、戦争責任の深い議論から日本の統一見解を見出し、戦後の総決算を今度こそ次世代の日本に引き継ぎたいと心から願います。

社会経済生産性本部が、2004年の新入社員意識調査を発表しました。質問の中に、「上司から会社のためにはなるが、自分の良心に反する手段で仕事を進めるよう指示された。」場合に、「あまりやりたくないが、指示の通り行動する。」と回答した者が過去最高の43.4%になりました。また「できる限り避ける。」と回答した者が40.8%でした。 良心に反することでも、会社の指示や上司の指示があれば、従う新入社員は43.4%で、条件によっては従うという新入社員が40.8%もいれば、会社が強い意志で新入社員に指示すれば、新入社員の84.2%が「良心に反することでも、会社の指示に従う。」ということになります。企業の新入社員の半数以上が、「良心に反すると分かりながら会社の指示に従う。」という結果にも驚きますが、新入社員の約84.2%が「会社側からの強い指示には、良心に反することでも従う。」というのでは、企業社会の不祥事は永遠になくなりません。自分の立場や利益のためなら、良心に反することでも行うという若者が8割以上いる事実を我々はどのように受け止めていいのか分かりません。

もちろん、靖国や宗教心を国民精神と真剣に考えても、これからの若者が日本の伝統文化である神道や仏教に興味がなく、生まれればお宮参りに神社に行き、結婚式はキリスト教の教会で神父や牧師の前で誓いを立て、死ねば仏教のお坊さんにお経を上げてもらい、戒名をつけてもらい、お墓に埋葬される日本人には宗教に対する信仰心と言うものを求めても無駄かもしれません。神道や仏教やキリスト教などの教義を理解することなく、真剣な宗教に対する信仰が薄れた日本人は靖国などどうでもいいし、日本人の宗教観など考えもしない、何事も真剣に知ろうとしない時代になったのかもしれません。読売新聞の調査によれば、「何か宗教を信じているか」との質問に、国民は「信じている」23%に対し、「信じていない」は75%。「宗教は大切であると思うか」という質問でも、「大切」35%に対し、「そうは思わない」60%でした。日本国民は75%が宗教を信じておらず、60%が宗教は大切ではないと答える時代が来たのです。人類社会は科学万能の時代になっても、個人の生活規範や道徳規範の基礎に、キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教など、多くの宗教の信仰心があります。違法ではないが、人間の良心としてしてはいけない行為を宗教が個人に宗教規範として要求しているとすれば、宗教に対する信仰心が薄れ、個人の生活規範としての宗教心を日本人がを失った時、日本人の個人の生活規範は法律以外に何に求めればいいのでしょうか。日本人の良識ある品性にかけない行動規範を日本人は何を基準に生きていくのでしょうか。個人の良心に反することでも、違法でなければ何でもありの社会を日本人は容認するのでしょうか。

日本人の品性とアジア認識
日本人は自覚できない大きな欠点があります。日本人は明治の成功で無意識に自覚できないアジアへの優越意識があります。欧米に旅行して訪問国のテーブルマナーにも、恥をかかないか緊張しますが、アジアに旅行に行けば、恥を欠かないかの緊張さえも忘れてしまいます。海外旅行で航空機内のマナーが一番悪いのも日本人で、酒は飲むは、客室乗務員にコーヒーやジュースはかけるは、挙句は客室乗務員を殴るは、怒って土下座させるは、あまりにもやりたい放題で、最近は問題のある乗客は拘束するか、近くの空港に下ろすようになりました。欧米人とアジア人では明らかに無意識ではありますが、日本人は態度が違います。日本人団体客が毎年何万人も売春ツアーに出かけて、中国や韓国で現地の女性を団体で買いあさっている日本の男たちは、アジアの新たな時代には障害でしかありません。日本人の男どもの品性のなさを毎年何万人も見せられては、日本人に対する新たな嫌悪と憎しみが生まれます。日本では良い父親の日本人も、アジアでは団体で現地女性を買いあさる品性のない日本人になったりします。日本では中国の反日デモが大きく報道されますが、反日と言っても数万人の過激なデモが中国全国で起こっても、100万人にもなりません。中国の人口の0.1%以下の100万人の反日デモは、1000人の中国人の中でたった1人だけが過激であるに過ぎません。過激な1人を大きく報道して、おとなしい冷静な残りの999人の中国人を無視するなど、中国人はみんな反日デモしているかの大きな誤解を与える報道が日本ではありました。反日デモの報道を良く見ていると分かることがあります。デモ隊に襲われている通りが北京や上海ですが、日本語の看板ばかりの通りで日本から来たのでしょうが、日本語で「性感マッサージ」などの風俗店が日本語の大きな看板を上げている通りでした。日本の料理屋や風俗店があからさまに日本語の看板を上げている通りを見て、デモ隊は北京や上海ではなく歌舞伎町をデモしているようでした。中国に来て他国のことも考えないあからさまな日本語のいかがわしい通りを見て、日本人の品性のなさを感じるとともに、デモの標的にするのも納得する通りでした。他国に旅行に行ったり、出て行って商売するにも礼儀があるだろうと思うのですが、団体で女性を買いあさるは、品のない店をあからさまな日本語で堂々と看板は出すは、とにかく過去の歴史問題よりも現在のアジアでの日本男性の品位が大きな問題で、積み重なる日本人のアジアに対する無神経が歴史問題をさらに深刻にしています。ちなみに、中国には日本のコンビニが熾烈な競争をしており、北京や上海にも多くのセブンイレブンの店舗がありましたが、日本企業と分かっていてもデモ隊に襲われたセブンイレブンの店舗は1店舗もありませんでした。アジアに日本人以上に優秀な民族は存在しないというような無意識な優越感が日本人にあり、アジアでの品性のない日本人の行為を反省しない限り、アジアの日本人に対する嫌悪と憎しみは、歴史問題になって永遠に続くでしょう。現在の日本人の品性のない行為が中国や韓国に過去の歴史を思い出させ、日本人の無自覚なアジアに対する優越感を日本人が自覚し、品性ある日本人にならない限り、アジアとの協調は永遠にありません。風俗に行きたいのなら日本で行きましょう。海外に出て行ってまで、しかも団体で風俗店に行く恥ずかしい行為はもういい加減に止めて欲しいと思います。「日本人は性に汚い。」と人間の品性で嫌悪されるほど恥ずかしいことはないのだから、これからの日本の子供が「君たちのおじいさんはアジアまで来て、アジアの人の生命と財産を奪う戦争をしたけど、お父さんの世代はアジアにお金で女性を買いに来た性に汚い日本人だった。君たちは今度はアジアから何を奪う?」とアジアから言われないためにも、日本の男性は日本人としての自覚を持って行動して欲しいです。

焦りキレる日本
現在の日本は焦り、キレていると感じます。相対的に低下する日本の国際的地位や山積する国内問題で、日本国民は漠然とした不安の中でどうすれば現在の不安感を解消できるか分からずに焦り、キレています。国民全体が興奮状態の中で、分けもわからず当り散らしている印象です。中国の1000人に1人の反日デモで、中国人の反日教育や中国人全体が過激な反日だとマスコミは宣伝しますが、中国の反日教育で過激な反日デモに参加したのは、1000人に1人の中国人で、残りの999人は反日教育があっても冷静で、反日デモにも参加しませんでした。中国の反日デモの報道をするならば、冷静な中国人の報道は反日デモ報道の999倍報道されなければ、公正な報道とは言えません。日本の報道機関は反日教育を受けた過激な中国人が中国で大量生産されているような報道をしますが、日本人と中国人を意図的に対立させたい日本の報道機関全体の決定でもあるのでしょうか。

日本人は冷静に日本の歴史をさかのぼって、日本の成功と失敗の歴史を学ばなければならないのですが、日本の教育はすでに崩壊していて、平成16年度に入学した33大学・短大の大学生約13000人を対象に、中一から高三相当の問題を盛り込んだテストを行い、平成14年度に中高生に実施したテスト結果と照らし合わせた結果によれば、中学生レベルと判定された大学生は、5年前に行われた調査と比較して、国立大が0・3%から6%、私立大が6・8%から20%、短大が18・7%から35%と、数年間で大きく増加していることが分かりました。国語力だけでなく、歴史や地理も満足に学ばなくなって、日本の成功と失敗の歴史も学ぶことなく、海外旅行に行くけど世界地図で自分のいく国がどこにあるのかも答えられない若者が増えました。努力して成功を得た親の世代は日本の成功は続いて欲しいと願いますが、現代の若者は成功した日本が当たり前のことのように努力もしないで続いていくと思っています。親の世代で苦労して手に入れた日本の成功を、努力なしに成功した日本に生まれ住んでいる若者は、すでにある成功の日本は若者の努力なしでも続いていくと錯覚しています。親の世代の成功を維持して発展させるだけの努力をすることなく、若者は親の世代の苦労の結果である成功した豊かな日本で生きることを楽しむことだけに消費していきます。まるで、事業で成功した親の資産を子供が食い潰して破綻していくような生き方です。豊かな日本でこれ以上何をするのかと感じる若者には、成功した日本の維持発展のための努力などは考えもできないことです。

日本は歴史の国家創生に対しても、必要な技術や文字や文化を中国から学びました。文字のなかった日本は中国の漢字を輸入し、漢字からカタカナやひらがなを作ります。中国から輸入した漢字を使って、日本人は中国の寺院建設などの建築や大規模な都市工法を学び、陶芸や水墨画などの文化手法も学び、国家統治のための政治制度や国家税制制度も学び、中国語訳仏教典や漢方の医療技術も学びました。日本にはなかった新たな考え方と技術を日本は中国から学び続けました。

日本は明治維新以降に新たな教師を見つけます。欧米の近代制度と科学技術を日本人は急速に学びます。欧米の新たな考え方を理解するために、日本人は膨大な欧米単語の翻訳を漢字を使って始めます。国家や社会や市民と言う言葉は日本にはなく、言葉と同時に言葉の考え方も理解するために、日本人は偶然にも漢字という都合のいい文字を持っていました。欧米の制度や科学技術を理解するためには、どうしても日本人の理解できる言語が必要でした。欧米の近代社会と近代科学技術の単語翻訳と概念翻訳に活躍したのは、明治の福沢諭吉でした。自国語では十分に欧米言語を翻訳できず、欧米の科学技術や制度を自国語で理解ができない場合は、欧米言語を使って理解するという手間のかかる作業が必要でした。欧米の科学技術や制度の翻訳を漢字で行った日本は、全国の学校でも大規模に欧米の考え方を教えることができましたが、インドやシンガポールでは自国語の翻訳ができず、欧米の考え方を理解するためには、欧米の科学技術や制度を教える前に、まず徹底的な英語教育が必要になりました。
欧米の科学技術や制度の考え方を、漢字で全国的な国民教育として実施可能な日本とまず英語を教えてからの教育をしなければならない他のアジア諸国とは、国民教育のスピードが違いました。日本は短期間で全国民が英語を学ぶことなく、漢字で欧米の科学技術と制度を国民的に教育し、理解していきました。明治の成功はまさに国民教育の成功でもありました。

日本は江戸時代から明治維新を成功させ、近代国家への道を歩き始めますが、明治以降に日本人の精神も大きく変わって行きます。江戸時代まで文明・文化の輸入先であった中国と韓国に対する意識が変わり始めました。欧米諸国に植民地になっていくアジアを蔑み、欧米諸国を尊敬するようになりました。天皇を神とする国家神道を日本人の拠り所として、軍国主義の道を突き進みます。欧米諸国に敗退するアジアから脱して、欧米諸国の仲間入りを目指すようになります。天皇を頂点とする日本民族の繁栄のために、日本人の独自性と優秀性を民族主義として認識するようになり、アジアを蔑みアジア的な遺産を日本から抹殺して、日本人の独自性を高める政策が始まりました。日本に残る韓国系の地名や痕跡は歴史からも抹殺されていきました。東京の駒沢は明治以前は高麗沢と言う地名で、日本全国の韓国系地名はなくなり、神社の高麗犬も狛犬と変えられました。アジアを蔑む精神と日本民族はアジアを指導する優秀民族であるとの考え方も当然のように日本国民に広がりました。朝鮮や中国を支配し、指導するのは優秀民族の日本の義務とまで考え始めました。朝鮮や中国に出兵して、日本の領土を拡大し、朝鮮や中国を指導するのは、優秀民族の日本の当然の義務とまで考えるようになりました。そして、アジアを蔑んだ東洋の優秀民族の日本は、欧米人も敵ではない世界に誇る優秀民族と考えるようになり、欧米諸国と戦争しても必ず勝利するとの妄想に全国民が取り付かれました。日本は敗戦を迎えても、欧米に負けたのであって、アジアに負けたのではないとアジアに対する優越感を捨てることはありませんでした。20世紀の前半の時代とは言え、国家の指導者が「神」であり、神聖な神である天皇が存在する日本は、アジアで最も神聖な民族国家で、優秀な日本民族がアジア民族を指導するのは日本民族の義務であると、国家も国民も信じていたのです。国家指導者が人間ではなく神であると国家の内外に宣言する国家がアジアには存在したのです。

20世紀前半の日本は、戦争という愚かな行為を繰り返しましたが、全国的な国民の知力はアジアでも最大であったはずです。過去に植民地であった韓国は日本の成功が全国民的な教育であることを学びました。世界に「漢江の奇跡」を成し遂げたのは、まさに教育の成果でした。韓国は1988年のソウル・オリンピックで先進国入りして、国家的な満足に安住した結果、1998年には経済的な国家破綻を経験して、韓国は新たな国家建設の覚悟が全国民にみなぎりました。豊かな国家に満足すれば、国家は破綻するという経験をした韓国は、国家と国民の繁栄を維持するためには、国民教育を世界最高レベルを目指し続ける体制に変わりました。決して教育を低下させないし、義務教育だけでなく、大学や、企業でも世界を目指す全国民的教育を常に向上させていく体制を韓国は確立したのです。国力は全国民の知力の総和であると考える韓国の義務教育、大学教育、企業管理職教育、企業経営者教育、全国の主婦高齢者教育など、韓国は新たな国民教育体制に全力を挙げています。中国でも2005年の中国の大学生数は1600万人を超えます。米国の大学生が短大生約550万人を合わせて約1600万人ですから、中国は日本の大学生約250万人の6倍以上の大学生教育を行う、米国を超えた世界最大の高等教育大国になります。

国力は全国民の知力の総和であるという考え方が可能であれば、親の世代の成功の遺産を食い潰す努力しない子供の世代の知力で、21世紀にはどんな日本になるのでしょうか。国民の知力の基礎である教育が崩壊し、日本語も満足ではない大卒学生の増加する日本に比べて、戦後60年で急速に自国語や英語で近代科学技術教育の全国民的な教育体制を確立し始めたアジアに、戦後まで優位であった日本の教育の優位性は急速に失われています。2ヶ国語を自由に使いこなす大学生、世界最先端のMBA教育を企業管理職になる条件として、3ヶ国語の能力と働きながらの大学院教育を要求される企業管理職、就職後の企業人の知性を陳腐化させないための徹底した企業社会人教育の機関と制度の確立など、加速度的に進むアジアの教育改革に、優位性のあった日本の教育は急速に世界競争力を失い、日本人の知性を陳腐化させていきます。中国人や韓国人と日本語で議論する恥ずかしさは、現在の日本の若者にはありません。欧米人が入れば、流暢な英語で話し始めるアジア人に比べて、英語が話せず日本人の若者が議論の蚊帳の外になっても日本の若者はなにも気づきません。日本の大卒の1%も合格できないTOEIC800点が企業入社の最低基準で、一流企業ではTOEIC900点が要求される韓国や中国の大学生は、日本の大学生のように遊ぶ暇などありません。日本人が生まれながらにして優秀なのではなく、優秀であるだけの教育を受けてきたから優秀でした。その教育が崩壊し、教育の量と質で敗退するような日本では、日本人の優秀さは加速度的に失われます。豊かな生活を手に入れ始めたアジアに金持ち日本の優位性は薄れつつあり、知的能力でも敗退するなら、日本のアジアに対する無意識の理由なき優越感はアジアの国民の嫌悪と憎しみの対象となっていくでしょう。欧米には団体で売春ツアーに行かないけれども、アジアであれば平気で売春ツアーに団体で出かけていく日本政府と日本国民のアジアに対する認識の大転換が戦後60年の総決算として必要な時代が来たのです。

20世紀が民族の優秀性を競った世紀であるならば、21世紀は国際社会を高い能力で活躍する国民個人の能力を競う世紀と言えます。多様な言語能力があり、高度な専門性のある個人がどれだけ存在するのか。21世紀に日本人の優秀性を証明するには、国民一人ひとりが自分の能力で証明しなければなりません。自分が3ヶ国語の語学能力があるのか。自分に学会論文を書けるだけの専門性があるのか。自分に高い能力がなく日本人は優秀だと主張するほど、愚かなことはありません。個人の能力で語り行動する時代が21世紀の人類社会であるならば、21世紀の人間の価値を決定するのは、民族でも国籍でもなく、人間個人の努力の結果である人間能力なのです。どんなに日本に大企業があっても、国家が世界第二位の経済国であっても、努力を怠った能力のない日本人はどの国に行っても尊敬されることはないのです。日本人の優秀性は自分の努力と能力で証明してみせるという覚悟が21世紀の日本人には必要です。

参考文献:
臥龍通信第66号「年金問題の本質」
臥龍通信第121号「郵政民営化法案の欠陥」
公開コンテンツ「日本の官僚主義」
公開コンテンツ「厳しい国家財政」
公開コンテンツ「日本の化学兵器の中国遺棄問題」
公開コンテンツ「危機意識なき日本」
臥龍通信第112号「日本の戦後と靖国問題A」
臥龍通信第111号「日本の戦後と靖国問題@」
臥龍通信第108号「中国から見た日本」
臥龍通信第106号「最近の中国対立」
臥龍通信第98号「日本の対中貿易」
臥龍通信第96号「中国のエネルギー戦略」
臥龍通信第94号「日本の教育」
臥龍通信第90号「韓国技術エリートの台頭」
臥龍通信第87号「IMDと社内大学」

発行日 発行No タイトル
2005.08.10 第117号  独裁政治への道(郵政民営化法案騒動)
2005.07.28 第116号  世界ブランドランキング2005
2005.07.08 第115号  日本の少子化と女性問題
2005.07.08 第114号  米国政府要望書
2005.07.01 第113号  日本の右傾化
2005.06.17 第112号  日本の戦後と靖国問題A
2005.06.17 第111号  日本の戦後と靖国問題@
2005.06.02 第110号  狂気の日本
2005.06.02 第109号  東シナ海ガス田問題
2005.05.23 第108号  中国から見た日本
2005.05.13 第107号  日本の国際競争力(IMD2005)
2005.04.18 第106号  最近の中国対立
2005.04.18 第105号  明治の成功と失敗
2005.04.18 第104号  報道の意図と文脈
2005.03.22 第103号  ライブドア騒動の深層
2005.03.15 第102号  日本の時代遅れの国際感覚
2005.03.05 第101号  日本のブランド戦略とデザイン戦略
2005.03.05 第100号  中国の知的財産権問題と日本の歴史問題
2005.02.22 2月号外  頑張れホリエモン
2005.02.20 第99号  21世紀の知的財産権戦略
2005.02.20 第98号  日本の対中貿易
2005.02.10 第97号  不動産ファンド
2005.02.10 第96号  中国のエネルギー戦略
2005.01.20 第95号  クルド人を救え
2004.12.30 第94号  日本の教育
2004.12.30 第93号  北朝鮮問題
2004.11.30 第92号  崩壊する日本
2004.11.30 第91号  日本の国家経営者
2004.11.10 第90号  韓国技術エリートの台頭
2004.11.10 第89号  21世紀構想研究会記念フォーラムのご案内
2004.10.15 第88号  観光立国(ビジット・ジャパン)
2004.09.05 第87号  IMDと社内大学
2004.09.05 第86号  実力主義の「人間管理」と「能力管理」
2004.08.11 第85号  日本の戦後問題 
2004.08.11 第84号  2007年問題 
2004.07.23 第83号  企業経営と国家経営 
2004.07.23 第82号  未公開株の取引 
2004.07.02 号外  スウェーデン・プロジェクト
2004.07.01 第81号  日本の政治の大改革 
2004.06.21 第80号  日本の21世紀の課題 
2004.05.25 第79号  美しい日本の国土再生
2004.05.10 第78号  激動する世界情勢
2004.05.10 第77号  現代日本の問題点
2004.04.25 第76号  企業経営とITと知的財産権 
2004.04.25 第75号  「韓流」の映画とドラマ 
2004.04.08 第74号  日本のIT産業の実力
2004.04.08 第73号  「科学技術」と「職人技能」
2004.03.29 第72号  「攻殻機動隊」と「イノセンス」
2004.03.12 第71号  日本近代史の分岐点
2004.02.22 第70号  21世紀の大学改革
2004.02.22 第69号  行動する日本人の時代
2004.02.12 第68号  21世紀の日本人と日本社会 
2004.01.27 第67号  国家経営力統計
2004.01.10 第66号  年金問題の本質
2003.12.02 第65号  日本マンガの実力
2003.12.02 第64号  日本の政治
2003.10.17 第63号  企業就労と健康と個人の幸福 
2003.10.17 第62号  知的財産権政策後退の阻止 
2003.09.26 第61号  地域主義の新たな潮流
2003.08.20 第60号  日韓の近代・現在史
2003.08.20 第59号  国連問題と日本外交
2003.07.10 第58号  国家経営力(2) 
2003.07.10 第57号  国家経営力(1) 
2003.06.25 第56号  特許戦略よりも知性戦略
2003.06.07 第55号  『日本の知性は死んだのか?』 
2003.06.07 第54号  経営力の時代(3) 
2003.06.07 第53号  経営力の時代(2) 
2003.06.07 第52号  経営力の時代(1) 
2003.04.25 第50号  朝鮮半島の中国と米国の関係  
2003.04.25 第49号  日本のITの基礎知識(5)  
2003.04.25 第48号  日本のITの基礎知識(4)  
2003.04.25 第47号  日本のITの基礎知識(3)  
2003.04.25 第46号  日本のITの基礎知識(2)  
2003.04.25 第45号  日本のITの基礎知識(1)  
2003.03.10 第44号  日本の産業競争力
2003.03.10 第43号  日本の安全保障
2003.03.10 第42号  日本の知性創造サイクルの変革

中嶋経営科学研究所 所長 中 嶋  隆


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