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臥龍通信

臥 龍 通 信 第104号 <2005.4.07発行>
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  ◆ 臥 龍 通 信 第 104号 ◆
    報道の意図と文脈

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 ◆ 臥 龍 通 信 第104号 ◆
    報道の意図と文脈

報道の意図と文脈

人間は何かを言語で表現するときには、明らかに表現者の意図というものがあります。新聞の報道にも意図があり、テレビの報道にも当然に報道する者の意図が存在します。膨大な人間の思考の因果の中で言語は文脈という中でのみ意思と意図を表現できます。切り取られた一部の人間思考の言語表現を文脈無視で考えたのでは、表現者の意思と意図を正確に理解することはできません。新聞もテレビも報道という現実においては、紙面や時間の制約によって表現者の文脈を正確に読者や視聴者に伝えることができません。報道現場で批判する場合も十分な文脈を提示した表現への批判は本来の姿でしょうが、批判される側の文脈が提示されない一部の表現に批判が集中する場合があります。また、報道する側の意思と意図が隠された批判がされる場合も多く見受けられます。ジャーナリズムはジャーナリストの専門性が重要だとする意見もありますが、明治以降の日本のジャーナリズムは国民の信頼を十分に獲得するまでに成長したとはとても思えません。ジャーナリズムは一方的なジャーナリストの専門家に任せて、国民はジャーナリストに従っていればいいというのでは民衆主義が存在しません。日本のジャーナリズムは国民の高度な知性による意見の選択がなければ、高度なジャーナリズムも存在できません。言論の自由に支えられた発言者の意見は国民の高度な知性と良識で支持されなければなりません。特に報道機関で発言する発言者や批判者は発言の重みや責任を報道機関も発言者も十分に考える必要があります。読者や視聴者に誤解させる発言や報道をしていないかを、報道機関はこれまで以上に注意する必要があります。根拠のない憶測や予測は排除されなければならないし、一方的な批判に終始してはいないかなど報道機関の中立公平性を維持し続ける努力が必要になります。報道される個人や法人が報道によってどんな影響を受けるかには十分に配慮する義務が報道機関にはあります。犯罪者でもない個人の思想や行動に対する報道は特に配慮が必要ですが、今回のライブドア報道は明らかに堀江氏個人とライブドアという法人に対して報道機関の十分な配慮があったかというと疑問が残ります。まず、民放連はライブドア反対の立場を正式には表明していませんが、明らかにフジテレビ側に協力する姿勢です。報道機関の中立公平性を叫ぶのであれば、我々○○放送はライブドアに対して反対の立場で報道していますという意見表明後に堀江氏やライブドア批判をするべきですが、ライブドアに反対する報道機関の意思と意図は隠されながらライブドア批判がされてきました。

上場企業の責任と義務
未上場企業の所有者は、自分のお金で資本金を払い込んだオーナーであり経営者である株式保有者=経営者のものです。上場企業は株式の額面の数十倍の資本を提供した株主のもので、企業のオーナーは経営者ではなく株主です。レストランをやりたい経営者が2億円の資金を使って、レストランを開業して店長や社員を雇って経営を始めたら、社員や店長がレストランは経営者のものではないと自分たちもレストランの所有者だとレストラン所有の権利を主張したら、どうしますか?企業の経営資金を提供した資金提供者がいなければもともと企業社員も経営者も存在しません。企業は経営に失敗すれば倒産します。企業倒産の大きなリスクを抱えているのは上場企業の場合、数百億円や数千億円の損失を受ける株主です。重大な過失がない限り雇われた経営者や社員は莫大な資本損失のリスクはありませんが、株主は莫大な資金を失うというリスクを背負っています。資本主義社会では最大のリスクを負う者が最大の利益を受けるものなのです。上場企業の経営者は株主に雇われた経営者ですから、筆頭株主との交渉を拒否して雇われ経営者や社員が企業の権利を争うこと自体が驚きです。今回のライブドアの騒動も市場の株主がどちらを選択するかの問題で、株主でもない報道機関やジャーナリストから批判される理由が分かりません。上場して莫大な資金を株主から集めた企業経営者と社員の義務と責任が十分に理解されていないことが、多くの混乱を生み出しました。上場企業は売買の対象であるという資本主義上場企業の経営者と社員が、まったく自分たちが売買の対象であるという認識を持っていなかったことがあらためて企業経営の専門家のあいだでは驚きの対象となりました。企業は誰のものかをあらためて議論を始める報道機関にもあきれました。日本の周回遅れの産業としての報道業界の存在がまた新たな問題として浮上した騒動でした。

メディア論
メディア論からも今回のライブドア批判は盛んですが、メディア論で経営する前から経営を否定されてはたまりません。上場企業の企業経営者は企業経営の結果で市場より評価されます。違法でない限り企業の経営者は企業経営の結果で評価されるべきで、将来の企業経営の可能性で未来の批判をされてはたまりません。まだ企業経営もしていない経営者に対するジャーナリストのライブドア批判は根拠のない予測の批判であって、可能性への批判です。堀江氏の評価は実際の企業経営の結果としての視聴者や株主の評価がすべてであって、ジャーナリストが堀江氏のメディア論をどう考えるかなど問題ではありません。ジャーナリストは言論の自由があり、ジャーナリストの評価は表現されたものに対する読者や視聴者の評価であり、事前に検閲など許されません。企業経営も同様で、経営者は実際に企業経営の結果で評価されるのであって、事前に経営思想を検閲して未来の経営に否定的な批判を加えるのはジャーナリストの検閲を許すのと同じです。企業経営者の経営思想を問題に企業経営の権利を否定することと、ジャーナリストの思想を問題に表現する権利を否定することが、同じことだということがジャーナリストには理解できないようです。ジャーナリストに言論の自由があるように、上場企業のオーナー経営者には経営の自由があります。
ソフトバンクインベストメントの北尾氏が、「人の家に土足で上がって」という堀江氏批判に対してまるで正当な批判のような扱い方をして、報道機関やジャーナリストは堀江氏批判にコメントを利用しました。堀江氏は公開されている家に株を買ってくれればどんな人でも自由に上がって意見を言うことができますと約束されている家にまだ上がってもいないし(経営者として経営参加していない)、自由に意見も言っていないのに(株主総会で意見もまだ言っていない)、「人の家に勝手に土足で上がった」と批判され、ジャーナリストはそんな報道がおかしいとも言わずに、あたかも正しい意見のような報道は繰り返されました。「人の家に勝手に土足で上がった」のではないと正式にコメントしていたのは、私の知る限りジャーナリストでは田原総一郎氏ただひとりです。批判される側が誤解を受ける可能性のある報道は控えるべきですが、報道機関もジャーナリストも批判される側への報道の配慮が明らかに欠落しています。メディア論など語れる報道機関であるのかという状況は現在も反省もなく続いています。

マネーゲーム論
報道関係で相変わらずマネーゲーム批判が盛んですが、米国でも製造業の利益がファイナンス(金融業)の利益に抜かれました。世界的な金融業の利益が急激に拡大していく中、証券市場を代表に金融投資市場は日本でも拡大しています。上場企業は証券市場に上場して、投資家から莫大な資金を集めて経営を拡大していきます。上場企業は金儲けのマネーゲームに参加して、上場企業の経営者は市場と株主から厳しい評価を受けることになります。上場企業は売り買いされる存在で、上場企業の雇われた経営者はいつでも株主による総入れ替えの運命にあります。企業が上場するということは売買の対象になることで、上場した後に売買の対象ではないとか、企業は社員のものであるとか、後から上場企業の買収者に対立するようであれば、最初から上場してはいけません。金儲けやマネーゲームは悪いことではなく、批判されることでもありません。上場企業はマネーゲームの対象になることを覚悟して、膨大な資金を株主から手に入れるのであって、上場企業をマネーゲームの対象にするとは何事だという批判は見当はずれの批判です。株主から膨大な資金を手に入れる上場の企業の経営者と社員の覚悟と認識が甘いからマネーゲームを容認しながら、一方ではマネーゲームを否定するというおかしな批判が生まれます。マネーゲームがいやならば、上場しないで株主から膨大な資金を調達しなければいいのです。上場企業が倒産すれば数百億円や数千億円の損害を受ける株主のリスクを考えれば、莫大な損失リスクを背負っていないし、背負う覚悟もないお気楽経営者と社員の意識など投資家の莫大な資産リスクの前では問題にもならない話です。
最近は株取引で利益を上げる株式トレーダーの話が話題になりますが、もう20年前から株取引で利益を上げる数十万人という株式トレーダーが日本にはいました。地方の僻地や離島で商売をしようとしても、東京の銀座のような高級品が売れるだけのお金持ちも地方にはいません。渋谷のような大量の乗降客がいる駅などもありません。地方は東京に比べて商売の選択肢はほとんどない状況です。地方で東京と互角にできるビジネスがあるのかと考えたとき、地方が東京と同じ条件でビジネスできる商売は株取引でした。一生懸命に勉強すれば、株式市場で利益を上げることに東京と地方の差はほとんどありません。地方で東京にいるのと同じ条件でビジネスができる株式取引は、地方の個人投資家には重要な利益獲得の手段でもありました。株取引での年間数十万円や数百万円の利益は、地方の投資家がビジネス成立条件の乏しい地方で生活費を稼ぐ重要な手段になっていることも事実なのです。私は九州出身ですが、20年以上も前から主婦やサラリーマンや個人商店主が株取引で利益を上げていました。金儲けのマネーゲームと証券市場を批判するのも自由ですが、株取引が重要な生活費獲得の手段となっている地方の投資家はいまも数十万人単位で存在します。株でもうけるしか生きていく方法がない地方の投資家の存在をマネーゲームと切り捨てることは簡単ですが、報道機関が言うべきことかという疑問があります。
資本主義のルールとは、企業は上場と同時に莫大な資金を株主から集めて、大企業として事業を拡大して社員に対する高額な給与も払えるようになります。経営者は少なくとも株主から4%から5%の配当を要求されても当然で、退職金の2千万円で株式投資して、ささやかですが年間80万円から100万円の配当を株主は得るのです。株主に1%や2%の配当しか配当できない企業経営者は株主からクビにされても、経営能力がないのだから仕方がありません。株主の資金がなければ、企業経営者や社員はまずビジネスができないのですから企業の存在もありません。株主が要求する企業経営ができない企業経営者は交代するべきで、上場企業の社員が権利者でもないのに経営者といっしょになって株主の企業経営権を否定するべきではありません。株主は1千万円の資金を出して倒産の場合は1千万円の資金を失うリスクを負いながら配当は年間数十万円で、社員は資産損失リスクもなく1500万円以上の給与をもらっています。株主は自分の資金を守る権利があり、株主配当を上げる経営を経営者に要求しても決して不当ではありません。上場企業の経営者の交代が嫌な社員は、上場していない個人商店の株式会社で年収600万円くらいの仕事を選択するべきなのです。ニッポン放送の社員が企業が社員のものと主張するならば、やるべきことは社員一人当たり4億円の借金をして、社員全体がリスクを負って株主となり会社を支えることであって、リスクを負う覚悟もなく株主を批判することではありません。企業経営に対して800億円以上のリスクを負えるかという覚悟があるのかという点では、ニッポン放送の経営者と社員は堀江氏に一歩及ばなかったです。そんな企業経営の覚悟のない経営者と社員はグループからも見捨てられるかもしれません。上場企業の経営者が株主を無視して、株主の利益を損ない企業社員の存在さえ危うくしてしまう焦土作戦を実行した日本の代表的な経営者の事例としてニッポン放送の経営者は、今後の日本の企業経営史に名前が残るでしょう。企業財産は上場企業の雇われ経営者や社員のものでもなく、自由に処分できるものでもありません。株主を無視して焦土作戦を実行する上場企業の経営者に仕事の場を破壊されても経営者を支持するという社員の愚かさにも、上場企業の愚かで覚悟のない社員の悲哀を感じます。

IT論
テレビ放送は大企業のマスメディアとして、1年間に約2兆円の大企業からのテレビ広告費によって企業経営しています。高額なテレビ広告を出せる大企業が主要の顧客である現在のテレビ放送局は広告主の製品が売れるための広告に経営の中心があるわけで、売上を上げるためには広告単価を上げるか、放送以外の事業をすることになります。すでに日本人の平均テレビ視聴率が8時間になってしまって、限られた時間の中で無限の広告主の放送はできないから、限られた時間の中で限られた大企業からできるだけ高額の広告料が支払われるような広告をしなければなりません。
一方、テレビからは軽く見られているインターネットですが、インターネットはテレビ放送のマスメディアとは違う形で、日本の経済に大きな貢献をしています。テレビ放送は顧客が大企業ですが、インターネットは小規模商店が中心です。大企業はまだインターネットの活用をテレビほど重要視はしていません。インターネットが出現して日本経済が変わったことがあります。インターネットが出現してからは、地方でものづくりしている商店が全国レベルの販売が可能になったということです。DMや広告など初期投資だけで数千万円という投資を地方の個人商店ではできません。都市や全国販売など地方商店にとっては夢でした。地方の顧客に頼った小規模の経営を続けてきた地方商店は、インターネットによって数万円のコストで全国販売に打って出ることができるようになりました。インターネット商店に展開する数十万店の地方商店は、良いものであれば全国から注文が受けられるようになりました。インターネット商店の全国販売によって、数十万店の地方経営者が一家心中から救われ、数百万人の商店雇用者が救われました。21世紀は日本の地方からの全国販売を可能にするインターネットの活用がさらに進みます。大企業の広告を中心にするテレビにはできなかった地方の小規模商店の全国販売が日本の地方経済の新たな活路にもなっていきます。地方商店の商品の全国販売を可能にするインターネット商店は、大企業の既存の商品市場を奪うことにもなるでしょう。大企業の規格化された商品ではなく、地方の多様な大量生産の規格品でない高品質の商品販売が全国的にも活発になれば、大企業の規格大量生産の商品の売上減少とテレビ広告費の減少にもつながってくるでしょう。地方の小規模資本の商店の全国販売が可能になる時代は、消費者も大企業の規格商品では満足しません。塩、醤油、味噌、油、酢、酒など身近な食品から、市場の大変動が始まるでしょう。新たな地方のものづくりを支えるのはもはや大企業に依存したテレビではなく地方の小規模商店の全国販売を支援してきたインターネットです。報道関係者のメディア論があるようにITにはIT論があります。ITの知識が乏しい報道関係者のITコメントはIT側から言えば、もっと勉強して発言してくれということになるでしょう。世界的なITの現状と日本のITの現状やITの最先端の研究など、もっと勉強してから慎重に発言して欲しいのはメディア論を語るジャーナリストのメディア論と同じ感想です。ジャーナリストが報道の専門性を強調するのであれば、報道内容の専門性を語るレベルに現在の報道があるのかも再検討の必要があります。専門家でもないコメンテーターのどう思うかという根拠のない意見など聞きたくもないし、報道番組かバラエティ番組か分からない、いい加減な報道も反省する必要があると思います。

企業価値論
企業は誰のものか?企業は株主や経営者だけでなく社員のものでもあると盛んに言われています。株主は1千万円の資金を企業に提供しても、1年間に1%や2%の配当があるだけで、1年間に10〜20万円程度の配当です。企業の所有である株主には月に1万円にもならない配当もあります。社員は月給があり、働いた対価は毎月の給与で支払われています。ニッポン放送の社員は平均給与で月に100万円以上の給与をもらっています。
ニッポン放送の平均年収を株主が得るためには、10億円の株保有の資金が必要でしょう。もともと企業の社員は「企業永続性の理論」に従えば、常に代替可能な人間の交代による企業活動の永続性が確保されているのが企業です。企業の経営者や社員がいつ辞めても、代替可能な経営者や社員が存在することが資本主義社会の前提で、したがっていつ誰が企業を辞めても企業経営は永続性を持って継続されるのが、資本主義社会の企業経営です。年功序列の雇用制度が崩壊して、日本の企業社員の平均勤続年数が11年になってしまった現在では、派遣社員や数年で辞めていく社員に企業価値の源泉を求めることはできません。
価値には永続的な価値と時価的な価値があります。金の価値を考えると多少価格変動はありますが、大きく変動して無価値になることはありません。腐敗する食品などは、腐敗してしまえば食品の価値はなくなります。企業の価値は常に時価でしか評価できません。
企業の価値は永続的な価値ではなく、評価する時点での時価でしか企業価値は計れません。価値を生み出すのは人間ですが、社員は毎年その労働対価を給与という形で報われています。企業の知的財産権は創造する人間に価値があり、社員は企業価値そのものだという意見もありますが、知的財産権は創造された法人所有の財産権に価値があるのであって、知的財産権を生み出した社員に価格がつくわけではありません。評価する時点での法人が所有する財産の総体が企業の時価企業価値であって、企業に所属する社員一人ひとりに価格をつけて価値とすることなど不可能であり、無駄です。理念として価値があるということと具体的に働いた結果としての価値を評価することとは違うことが、多くの場合混乱して認識されません。企業の社員に企業価値があるという議論は愚かですが、もし主張するのであれば、働く人間自体に価値(人間価値)があるのか、または働いた結果としての労働の対価として価値(労働価値)があるのか、さらには具体的な社員の価値が企業価値としてどれだけあるのかを示す評価基準と評価価格も提示しなければならなくなります。多様な能力の人間の価値を企業業務の中で労働対価としての価格として評価することが企業社員の企業価値というならば、すでにその価値評価は毎月の給与としてすでに社員に支給されています。毎月の給与と退職金以外に企業財産における企業社員の取り分である価値を企業価値のどこに主張できるというのでしょうか。

さて、最初に戻りますが、私は100号を超える「臥龍通信」の中である意図と意思をもってコンテンツを書いています。ある一部の文章を前後の文章や文脈を無視して取り出されて問題にされると大きな誤解が生まれます。売れるために過激な娯楽誌に書くコンテンツと論文誌に書くコンテンツでは文章の内容も違ってきます。文脈を提示しない発言批判などもあってはならないのですが、報道機関での文脈無視の批判報道は数多くあります。時間的な制限があり十分な配慮が出来ないのであれば、報道するべきではありませんし、報道するのであれば十分な文脈的配慮が必要ですが、現在の報道にはその配慮が感じられません。テレビのCMも視聴率を上げるために、わざと一番見たい部分の前にCMを持ってきてCMを無理やり見せようという手法など、最近は視聴者無視のテレビCMにも苛立ちを感じます。CMの前後に同じ映像を見せられる苛立ちを何度も視聴者に強要するテレビもいい加減にして欲しいと思います。十分な配慮のない報道と強制的なCM視聴を反省もしないテレビ報道など、ケーブルテレビの多極化でますます視聴率低下をまねくでしょう。もはや興味も期待もない日本の報道機関ですが、そのうちにインターネットの本格的なブロードバンド化やケーブルテレビの多極化などによって、地上波テレビ局も経営不振による合併で東京キー局の数社がなくなるでしょう。報道の専門性や公共性など期待せずに、今後の報道機関の合併劇をワイドショー感覚で報道レベルに対応した楽しみ方をしましょう。どうせ地上波テレビ局の1社や2社がなくなっても国民はまったく困りませんから、この機会にテレビ報道機関の経営者や社員が起こすドタバタ劇をテレビのワイドショー感覚で十分に楽しませてもらいましょう。なくなっても困らないテレビ局がありますか?なくなっては困るテレビ局がありますか?一度視聴者に統計を取ってみれば今の報道に対する国民の評価が分かるでしょう。国民はテレビ放送局に何を求めているのか?地上波報道各局は24時間という制限の中でどのような割合で、どんな内容の報道をするべきなのか?視聴者の誤解を生み出すことのない公平中立な報道にどのような配慮するのか?国民の財産でもある地上波を使いながら、単なる企業買収劇であることに日本の政治や経済の山積する問題報道より多くの報道がなされること自体がよく分かりません。日本の政治や経済よりも企業買収劇が国民社会の重要な問題なのでしょうか?報道内容の優先順位はどうなっているのか?

ジャーナリストからは、「日本の国民はまだ情報氾濫する日本社会の情報選択能力がないため、プロフェッショナルのジャーナリストが情報選択して国民に情報を提供するのはジャーナリストの専門性ある大きな役割だ。」と国民は情報処理能力がないとジャーナリストからバカにされっぱなしです。インターネットで誹謗中傷が飛び交い、アダルトサイトに群がるような国民にはジャーナリストの志は分からないと日本国民は知性のかけらもない人間たちのように言われます。もし、一般国民より高い情報処理能力のジャーナリストの専門性というものがあるとすれば、ジャーナリストの専門性はいかなる基準の評価があって、誰がジャーナリストとして決定するのでしょう。客観的に理解できるジャーナリストの専門性を証明する基準と認定がどのようになっているのかを提示しない限り、ジャーナリストの専門性など信じられるものではありません。ジャーナリストは情報処理と選択の専門性があるのだから、頭の悪い国民はジャーナリストの言うことを信じていれば良いなどというジャーナリストの専門性など必要とも思わないし、決して信用できません。

1980年代後半に日本はジャパン・アズ・No1と言われる時代に、世界中の不動産や企業を買収していました。お金で米国の企業や不動産や世界的な美術品まで日本は買いあさりました。日本が金儲けして経済的に強ければ、海外で企業買収や不動産買収をおこない、経済的に弱くなれば外資に攻め込まれると外資規制などを検討しますが、世界中をお金で買えないものはないと様々な国で不動産や企業や美術品を買収しておきながら、買収には無防備であったなど話にもならない言い訳です。資本主義社会の論理で莫大な資金で世界中を買いあさった日本が、今度は世界中から過去の日本が行ってきた同じことが起きると過去の日本の行いを忘れて問題視します。。過去の日本の行いを忘れて、よく外資脅威論など語れたものだと思います。強い日本に買収されていく企業や不動産を米国国民はどんな気持ちで見守っていたかを考える日本人はいません。過去に外国に脅威を与えた日本が経済的に弱くなって買収される側に立つと日本では外資脅威論が台頭します。アジアに日本は過去を反省していないと警戒されるのも当然のことです。外資脅威論では文脈性も専門性もない報道機関の報道ですが、国民は報道機関の報道に対してあらためてその公平中立な公共性というものを再検討する必要があります。報道機関を監視する国民の高い見識が今ほど必要な時代はありません。第二次世界大戦で真実を伝えず国民を欺いて日本国民を破滅に追い込んだ大本営発表に異議を唱えることなく報道してきた日本の報道機関やジャーナリストが、また同じことをしないとは決して言えないのですから。


参考文献:
臥龍通信第96号「中国のエネルギー戦略」
臥龍通信第94号「日本の教育」
臥龍通信第90号「韓国技術エリートの台頭」
臥龍通信第87号「IMDと社内大学」

発行日 発行No タイトル
2005.03.22 第103号  ライブドア騒動の深層
2005.03.15 第102号  日本の時代遅れの国際感覚
2005.03.05 第101号  日本のブランド戦略とデザイン戦略
2005.03.05 第100号  中国の知的財産権問題と日本の歴史問題
2005.02.22 2月号外  頑張れホリエモン
2005.02.20 第99号  21世紀の知的財産権戦略
2005.02.20 第98号  日本の対中貿易
2005.02.10 第97号  不動産ファンド
2005.02.10 第96号  中国のエネルギー戦略
2005.01.20 第95号  クルド人を救え
2004.12.30 第94号  日本の教育
2004.12.30 第93号  北朝鮮問題
2004.11.30 第92号  崩壊する日本
2004.11.30 第91号  日本の国家経営者
2004.11.10 第90号  韓国技術エリートの台頭
2004.11.10 第89号  21世紀構想研究会記念フォーラムのご案内
2004.10.15 第88号  観光立国(ビジット・ジャパン)
2004.09.05 第87号  IMDと社内大学
2004.09.05 第86号  実力主義の「人間管理」と「能力管理」
2004.08.11 第85号  日本の戦後問題 
2004.08.11 第84号  2007年問題 
2004.07.23 第83号  企業経営と国家経営 
2004.07.23 第82号  未公開株の取引 
2004.07.02 号外  スウェーデン・プロジェクト
2004.07.01 第81号  日本の政治の大改革 
2004.06.21 第80号  日本の21世紀の課題 
2004.05.25 第79号  美しい日本の国土再生
2004.05.10 第78号  激動する世界情勢
2004.05.10 第77号  現代日本の問題点
2004.04.25 第76号  企業経営とITと知的財産権 
2004.04.25 第75号  「韓流」の映画とドラマ 
2004.04.08 第74号  日本のIT産業の実力
2004.04.08 第73号  「科学技術」と「職人技能」
2004.03.29 第72号  「攻殻機動隊」と「イノセンス」
2004.03.12 第71号  日本近代史の分岐点
2004.02.22 第70号  21世紀の大学改革
2004.02.22 第69号  行動する日本人の時代
2004.02.12 第68号  21世紀の日本人と日本社会 
2004.01.27 第67号  国家経営力統計
2004.01.10 第66号  年金問題の本質
2003.12.02 第65号  日本マンガの実力
2003.12.02 第64号  日本の政治
2003.10.17 第63号  企業就労と健康と個人の幸福 
2003.10.17 第62号  知的財産権政策後退の阻止 
2003.09.26 第61号  地域主義の新たな潮流
2003.08.20 第60号  日韓の近代・現在史
2003.08.20 第59号  国連問題と日本外交
2003.07.10 第58号  国家経営力(2) 
2003.07.10 第57号  国家経営力(1) 
2003.06.25 第56号  特許戦略よりも知性戦略
2003.06.07 第55号  『日本の知性は死んだのか?』 
2003.06.07 第54号  経営力の時代(3) 
2003.06.07 第53号  経営力の時代(2) 
2003.06.07 第52号  経営力の時代(1) 
2003.04.25 第50号  朝鮮半島の中国と米国の関係  
2003.04.25 第49号  日本のITの基礎知識(5)  
2003.04.25 第48号  日本のITの基礎知識(4)  
2003.04.25 第47号  日本のITの基礎知識(3)  
2003.04.25 第46号  日本のITの基礎知識(2)  
2003.04.25 第45号  日本のITの基礎知識(1)  
2003.03.10 第44号  日本の産業競争力
2003.03.10 第43号  日本の安全保障
2003.03.10 第42号  日本の知性創造サイクルの変革

中嶋経営科学研究所 所長 中 嶋  隆


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