2006.08.25
中嶋経営科学研究所 所長 中嶋 隆 |
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| 小泉政権の総決算 小泉政権が終わろうとしています。様々な変化を日本にもたらした小泉政権については、日本国内でも評価は大きく分かれています。国民の半分が支持し、半分が否定するというこれまでの政権にない支持率と否定率で、日本国民の小泉政権に対する評価も対立した結果となりました。小泉政権が生み出した問題と残した問題について、今回は考えます。 対立を利用する政権 小泉政権は、政治的な対立を利用し、常にマスコミに対立という話題を提供し、国民に戦う政権を継続してアピールしてきました。最初は、自民党内部の国会議員を抵抗勢力と位置づけ、次には公務員が抵抗勢力で、郵政民営化や道路公団民営化で過酷な自民党議員の追放と刺客を送り込む抹殺を実行し、最近では、中国と韓国が抵抗勢力です。小泉政権を誕生させた多くの自民党国会議員を政治は非情と追放抹殺し、自民党を小泉政支持者の集団である小泉党にしてしまった小泉政権は、政治手腕としては見事な政局能力ある政権でした。非情な政治ドラマを見てきた国民は政治の面白さを体験しましたが、勝ち残るためには非情でなければならない日本の国家指導者の姿に、日本社会の非情な現実を見る思いがしたでしょう。小泉政権の対立構造は、対立の内容ではなく、対立している事実を国民に提示して、どちらを支持するかという内容なしの対立そのものの構造で、国民に十分な議論や情報提示するのではなく、対立に対する賛成か反対かをだけ問うものでした。マスコミは政権党批判を恐れて、自社の視聴率や新聞の販売数を考えて、独自の評価や判断をするのではなく、賛成と反対の意見を延々と流すだけで、小泉政権に対する独自の意見を報道の公平性などと逃げて、小泉政権の政治に対してまともな意見を表明しませんでした。日本のマスコミが権力の暴走を止めるという役割を明確に放棄した最初の政権に小泉政権がなりました。戦う政権である小泉政権に戦うマスコミの存在は消滅してしまって、傍観するマスコミに、日本のマスコミがなってしまったのです。戦争を反対せず、戦争を賛美する国民に迎合して、新聞売り上げのために真実の報道をしなかった日本のマスコミは、今回も時代の政府と国民に迎合して、権力者の批判という義務を放棄しました。政治の対立と非情な戦いを日本国民は面白がり、十分な議論なしに勝敗を楽しみ、独自の批判さえできなくなったマスコミの存在で、国民は政治を政治劇場ドラマとして楽しむようになったのです。 小泉政権の経済政策(不良債権処理) 小泉政権の経済政策の最大の成功は不良債権処理と言われています。1990年以降のバブル崩壊後の経済不況で、不良債権処理が最大の問題となっていました。不良債権処理とは何かという問題は深く考えられることなく、不良債権処理が日本の経済を復活させる最大の問題として、不良債権処理の言葉だけが政治や経済の分野で踊りました。 有名なエコノミストや経済評論家も、政治評論家も政治ジャーナリストも、マスコミも、不良債権処理の説明を明確に行った上で不良債権処理を推進するというのではなく、日本の経済復興には不良債権処理が必要であると十分な説明なしに、小泉政権の不良債権処理を支持しました。不良債権とは何か、そして不良債権の処理は小泉政権でしかできなかったと言われるのは真実なのでしょうか。日本の不良債権とは、日本政府の指導に従ってきた銀行や金融機関が経営失敗して、多くの回収不能の貸付がたまって倒産の危機に陥ったことと金融以外の大企業も企業経営以外の投資をして経営失敗して、大企業にも回収不能の貸付がたまったことが不良債権の内容でした。日本政府の政策失敗と銀行や金融機関や大企業の経営失敗の結果が不良債権を生み出したのです。具体的に言えば、大銀行や生損保・証券などの金融機関や大企業の経営者が完全に経営失敗して、企業を指導してきた日本政府にも大きな企業行政の失敗がありました。不良債権の責任は、日本の大銀行や金融機関や大企業の経営者の責任であり、大企業を指導してきた日本政府の責任であって、日本国民の責任ではありませんでした。 日本の銀行や金融機関や大企業が資金回収不能の経営失敗によって倒産の危機にあったので、不良債権の処理は企業の経営責任で行われるべきものでしたが、不良債権処理の問題はここで国民の問題としてすりかえられます。大銀行や金融機関や大企業は経営失敗によって倒産するならば、倒産させることができました。問題は日本政府が国民の金融資産を保護するという約束を果たせば、金融機関や大銀行は倒産して、経営者は莫大な経営者責任の損害賠償を要求され、官僚は政策指導責任を問われ、政治家は莫大な政治献金を失い、マスコミ各社は莫大な広告料を失うという状況をだれも望みませんでした。倒産した企業の経営者は経営責任を問われて、これまでの顧客と市場を失い、その顧客と市場を同業種の他企業が奪い、事業拡大して新たな社員として倒産企業の社員が雇用されることは、日本の政治と産業界では考えられませんでした。大銀行や金融機関や大企業の経営者は経営責任を問われては困るし、政治家は大企業が倒産して政治献金がなくなっては困るし、マスコミ各社は大企業の倒産で広告料がなくなれば困るし、官僚も政策責任を問われては困るし、経営失敗の責任を逃げるためには、日本の大企業の経営者の経営失敗を穴埋めする莫大な金額の資金が必要でした。 日本政府と経済界で相談した結果は、国家政府と大企業の国家経営者と企業経営者の経営責任を取らずに、国民の預金で経営失敗の資金の穴埋めを行うということでした。ゼロ金利で国民から預金を奪い、銀行の経営失敗の穴埋めをする資金を作るだけでなく、大企業の経営失敗で銀行に返さなければならない大企業の莫大な銀行借金は返さないで免除され、大企業の借金の穴埋めも国民の銀行預金が使われました。国民の預金の300兆円以上と企業の特別減税の145兆円が、日本の政治家と経済界の国家経営者と企業経営者の責任回避のために了解もなく使われました。日本の不良債権処理をしたのは、小泉政権でも大企業経営者でもなく、まったく国家経営と企業経営の責任のない国民が自分たちの預金と税金で不良債権処理をしたのであって、国民の資産である約445兆円以上資産で自分たちの責任を穴埋めした国家経営者と大企業経営者は自分たちの経営責任を追及されることなく、現在も国家経営や企業経営者として君臨しています。 日本の不良債権処理をしたのは、国家経営者や企業経営者ではなく、国民の預金と税金で莫大な不良債権の経営責任を問わずに処理すると決定した小泉政権でした。不良債権の処理は大企業の経営者の責任ではなく、日本国民に一人当たり約370万円の負担で処理すると小泉政権は決定したのです。この小泉政権の決定で、大企業経営者は莫大な額の経営責任を免れ、政治家はこれまで以上の政治献金を確保し、マスコミ各社は莫大な広告料を失わずにすみ、政界や財界やマスコミは小泉政権を大きく支持しましたが、了解もなく預金を奪われた国民の存在は完全に無視されました。マスコミで報道される「不良債権処理は小泉政権の成果だ。」という意味は、「国民の了解もなく、国民から約445兆円以上の資産を奪っても、国民の反対も暴動も起こらず、なおも高い国民支持率を維持して、不良債権処理できた小泉政権はすばらしい。」という意味です。 小泉政権の国民経済 日本の経済はGDPで考えると、1990年以降経済が低迷し、日本のGDPは減少しましたが、2001年でやっと1990年のGDPに回復しました。小泉政権が政権を担当して、2001年から2005年までに、日本のGDPは5年間で8%増加しました。2001年のGDPが4兆1700億ドルで、2005年のGDPが4兆5059億ドルで、約1.08倍になったのです。国民の所得は2001年から2005年では約7%低下して、日本国民の445兆円以上の資産で経営失敗の穴埋めをした大企業が大儲けしています。日本の経済は、1990年から減少して2001年にやっと1990年レベルに回復して、2005年には1990年から15年たっていますが、国家GDPは1.08倍になったに過ぎません。日本全体の経済が拡大しないことには、日本国民は豊かにはなりません。日本人が所得を減らして貧しくなると日本企業は、海外の市場で儲けようとします。日本人から了解もなく奪った445兆円の資金に救われても、日本企業は日本の雇用を守り、賃金を上げようとはしません。日本の有名な大企業でさえ、違法な偽装請負契約の低賃金社員を多く雇い、日本国民に企業利益を分配する気持ちさえありません。本来は大企業経営の失敗を倒産という形で責任を取るべき、非効率の企業経営は国民の預金と税金で救われ、経営失敗の原因となった非効率な企業経営は、現在も続いています。日本の産業界は自分たちの経営失敗も経営能力の欠如も反省せず、いまだに多くの大企業が売上高純利益率1〜5%程度の企業経営で売り上げが5〜10%減少したらすぐにも赤字経営に転落する企業経営を日本の経営者や経済評論家は成功と言っています。欧米やアジアの優良企業の売上高純利益率15%〜20%の経営には程遠い企業経営で、日本のトヨタでさえ8%ですから、日本の大企業経営者はまったく経営責任を認識していないと感じます。三菱、松下、トヨタ、ソニーの大規模リコールで日本の製造業の技術水準が問われ、キャノンや日立やニコンや東芝などの多くの大企業が違法な長時間労働と低賃金の偽装請負社員を放置していた日本企業の企業経営で、中国やロシアやインドやブラジルや欧州などの海外市場で敗退する日本企業は、米国市場でさえ失うかもしれません。日本国民の預金と税金で救われた日本の産業界が、日本国民が貧しくなったからといって日本人の雇用を考えず安い賃金で働かせ、海外に出て行って儲けようとしてもそう簡単には海外市場で成功できないのです。日本の大企業の企業経営の根本体質が企業経営者から変わらない限り、日本の企業競争力は落ちるばかりです。 小泉政権と国民意識 小泉政権は新たな問題を提起した日本の歴史でも重要な政権となりました。単純な賛成か反対かで国民の議論を二分する政治手法は、多くの注目と支持を集める小泉政権の重要な手法でした。十分な議論ではなく、単純に賛成か反対かで国民に語り掛ける政治手法は、戦う政治家という側面と多くの軋轢を国民に残しました。日本国民は小泉首相が対立勢力を明確にするだけで、二分された議論へと突入していきました。十分な議論と検討ではなく、単純な賛成か反対かという対立と過酷な政治闘争に国民は政治劇場の面白さを感じ、同時に国家経営者としての緻密な国家計画など忘れてしまいました。日本に起きている政治変化と同時進行で日本人の意識が急激に変化していますが、小泉政権は日本の国民意識の変化も計算した政局運営をしました。これまでの日本の政治家にはない時代感覚が小泉政権にはありました。 日本の歴史では、戦前にも民主主義が存在したと言いますが、日本の選挙制度だけでも、1889年(明治22年)では直接税15円以上の納税を行う25歳以上の男子だけが選挙権があり、選挙できるのは国民の1.1%に過ぎませんでした。1900年(明治33年)には、直接税10円以上の25歳以上の男子に選挙権があり国民の2.1%で、1919年(大正8年)では、直接税5円以上の25歳男子で国民の4.6%に選挙権がありました。1925年(大正14年)には25歳以上男子全員で国民の20%に選挙権があるようになりますが、女性の選挙権はありませんでした。そして、戦争後の1945年にやっと20歳以上の男女に選挙権が認められます。日本は大正時代までは、日本の一部の特権階級だけに選挙権があり、多くの国民には選挙権はありませんでした。そして、25歳男子の全員が選挙権を持つようになった昭和の時代になっても、地方は大地主の意向に逆らえない小作人がおり、都市には財閥企業に逆らえない企業社員が多くいました。昭和の時代でも完全な選挙など考えられない特権階級中心の政治が行われました。 現在の日本人は戦前の日本人と変わったのかと言えばたしかに変わりました。日本は戦後苦しい生活から復興して豊かな時代を1980年代に迎えます。植民地もなく、資源もなく、ただ一生懸命働く平和的な貿易で豊かになろうとする日本人は戦争をすることなく、経済的に豊かになることができました。日本国民がみんな豊かになろうと一生懸命働いた時代から豊かな贅沢ができる時代になって、日本人は生活に退屈し始めます。みんな同じ豊かな生活だけでは満足できなくなっていきます。他人とは違う生活や他人より豊かな生活を日本人は望み始めます。日本人は他人より高い能力と豊かな生活を望むようになり、日本社会でも競争という意識が1990年代には容認される社会意識が形成されます。人間はどんなに豊かになっても、他人と同じでは満足できず、他人よりも豊かな違う生活を望むのです。日本に社会的協調よりも貧富の格差ある社会を望む社会意識は1990年代にだんだん大きくなっていきます。自分が他人より豊かになること以外は、他人のことは知らないし、興味もないという国民の増加は、小泉政権の登場で大きな支持を集めていきます。 面白いことは、すでに他人よりも豊かに暮らす国民は小泉政権に多少懐疑的ですが、これから他人よりも豊かになりたいという国民に小泉政権は支持されたことです。現在言われている勝組が小泉政権を支持するのは当然としても、負組の支持者までが小泉政権を支えました。個人的に能力の高い、多くの資産を持っている国民は、国家を持ち出さなくても個人的に十分に満足であり、プライドもあります。しかし多くの負組が、日本社会から能力がないと阻害されて就職の機会さえ与えられない場合は、いったいどこに自分のプライドを見出せばいいのでしょうか。日本民族は優秀な民族であると教えられ、日本は世界第二位の経済大国であると信じている人々が、日本社会で能力がないと阻害されたときに、その人々のプライドはどこに見出せばいいのでしょうか。日本人であること以外は自分のプライドを見出せない人々は自分たちのプライドをどう維持するのでしょうか。そして、自分のプライドをナショナリズムで満足させる人々に小泉政権は圧倒的に支持されました。 日本の安全と豊かさの中で生まれ育った人々には、日本の安全と豊かさは感謝の対象でも満足の対象でもありません。ただ、退屈なだけです。もっと豊かに、もっと刺激的に生きることが、他人と大きく違う生活をする社会が退屈な人々の望みなのです。セックスや暴力やドラッグや浪費こそが、退屈な生活を刺激的にしてくれると、日本社会の協調も安全も豊かさも満足の対象でなくなった人々には、ナショナリズムの熱狂も日本の退屈を忘れさせてくれる重要なお祭りとなりました。小泉政権はあらゆるものを政局として利用する政権ですから、若者のナショナリズムを巧妙に政治利用しました。中国と韓国を刺激する行動をすることで、日本人が中国や韓国の言うことを聞く必要がないと高らかに宣言して、多くの若者のナショナリズムに火をつけました。その結果が、小泉首相の靖国参拝に賛成が43%で、反対が39%という国民の支持をすでに終わる政権であっても維持しました。靖国神社に参拝するのに数千名警備を動員して、個人の心情と言う言葉も空しいのですが、国家の最高指導者が、話し合いではなく、自分が靖国神社に参拝して何が悪いと中国や韓国の協議するのではなく、聴く必要はないと正式に公表しました。そして、一方では気に入らないことがひとつあるだけで話し合いをしないというのはおかしいと中国や韓国を非難しました。日本の国家指導者が中国や韓国の願いを聞く必要がないと言ってしまえば、中国や韓国も日本の言うことを聞く必要がないということです。北朝鮮問題や拉致問題も日本と北朝鮮の問題だから聞く必要はないということですが、北朝鮮問題では中国と韓国は日本と協調するべきだと非難します。自分の身勝手はかまわないが、他国の身勝手は許さないと言う国家指導者の発言は、国民から圧倒的に支持されました。中国や韓国は日本に協力するべきだし、日本の言うことを聞くべきだが、日本は中国や韓国の言うことを聞く必要などないという国家指導者が、驚くことに国民から圧倒的に支持されたのです。 日本社会で評価も注目もされず、能力なしと阻害された日本人に、日本で生まれて、日本で生活している日本人というプライド以外にどんなプライドがあるのでしょうか。日本社会に帰属する資格なしと能力を否定され、日本社会から無視された国民が日本人であり続けるためには、国家を持ち出し国家に帰属すると勝手に考えるナショナリズム以外にはありません。日本は日本民族という世界に誇る優秀な民族の国家で自分はその偉大な民族の一員である日本人という以外に何も誇るものがない国民が大量に生まれてときに、日本の政治と未来は大きく変わります。日本の大人が2005年には高速道路料金を払わずに逃げる車両が約93万台を超え、その子供たちは万引きや強盗や殺人さえも平気になって、違法行為であるとの認識があっても法律を無視するようになりました。日本社会で阻害された若者は過激に自己主張し、違法行為も平気になっていくか、また宗教心のない日本人の弱さを利用され、いかがわしいカルト宗教の信者に誘われ、さらに過激なナショナリズムに走る若者も出現します。米国の最前線の兵士の年収は約130万円です。日本の自衛隊の年収は約260万円で衣食住の費用は無料です。年収約150万円以下の日本社会から阻害された約600万人以上の若者にとって兵士になることが、年収でも国家を背負ったナショナリズムのプライドでも若者の目指す職業となりえる可能性は将来多いにあると思います。2007年以降は団塊の世代の大量退職が始まります。同じ時給で企業は、挨拶もまともにできない若者と大企業で働いてきてビジネス経験も豊富な団塊世代のどちらを雇用するでしょうか。来年からはフリーターも新たな競争者の本格的な参入で、派遣社員にも大量の団塊世代が流入します。若者が追い詰められるのはこれからなのです。 小泉政権のこれまでの強さと国民の圧倒的な支持は、敵を作っては勝つという先制攻撃政権であったことにも理由があります。先制攻撃の優位性はいつどのような攻撃をするかの選択権が攻撃する側にあり、守る側は常に劣勢に置かれます。小泉政権に突然に国民の敵と宣言された段階ですでに勝敗は見えています。守る側はなぜ敵とされるのかも分からず、守ることさえできなくて、抹殺されていきました。自民党の抵抗勢力や長老議員、郵政反対議員の追放と刺客騒動、道路公団攻撃、そして最後は中国や韓国を挑発して政治攻撃するという先制攻撃に守る側は常に劣勢に置かれましたが、外交だけは問題が違うことを小泉政権は考えなかったようです。政治は非情で、攻撃されて国内の勢力は追放・抹殺できますが、外国の勢力は追放・抹殺ができないのです。小泉政権に突然に敵と宣言され、過酷なまでに攻撃され、追放抹殺された国内勢力を国民も敵と思い、小泉政権を支持して小泉政権は連戦連勝の政権維持ができましたが、中国や韓国の政府や国家を追放抹殺することはできないのです。日本の国家指導者が敵とした中国と韓国は、日本を本格的に敵と思い始めたら、国家指導者の愚行の代償は去っていく国家指導者ではなく、日本国民が支払うことになります。日本は中国・韓国・ロシアと連携する周辺国に、日本が見捨てた台湾があります。どの国家も日本の小泉首相の靖国参拝は快く思っていません。米国でさえ、靖国神社の極東軍事裁判の否定思想は快く思っていません。国内勢力を抹殺してきた小泉政権ですが、外交では孤立し、抹殺される側に立つ危機さえもあえて踏み込む政権の責任は今後の政権と国民の責任として、丸投げされて残ったのです。 靖国神社の再検討 靖国神社は海外からの批判よりも、まず日本人が解決しなければならない問題があります。A級戦犯問題などではなく、靖国神社という宗教法人の存在を日本人がどうするのかが問題なのです。 靖国神社には不可解な点が数多くあります。 @靖国神社は創価学会や立正佼成会などと同じ宗教法人であるのに、なぜ戦死者の遺族などの了解もなく、神道の神社に勝手に戦死者を祭っているのか。 靖国神社には、戦死者の遺族の了解もなく勝手に戦死者が祭られています。国家の戦死者を祭る時代とは違い、現在の靖国神社は単なる宗教法人の権利があるだけで、宗教法人であるならば、靖国神社は戦死者の遺族の意向も考慮する必要があります。キリスト教徒の戦死者の遺族は靖国神社で祭られることを拒否していますが、靖国神社は遺族の意向など関係なく、戦死者を祭っています。戦犯であった広田弘毅の遺族はいまだに靖国神社に祭られることを認めていません。また、戦争中に戦死した朝鮮人兵士約21000人と台湾人兵士約28000人の遺族の多くも靖国神社に祭られていることを拒否しています。戦争中は日本人として戦い、戦争終結後は日本人ではないとして、朝鮮人兵士や台湾人兵士の遺族には、日本兵士には認められた遺族年金や戦死者の保障はほとんどありませんでした。日本人として戦死して、遺族は日本人ではないと見捨てられた、日本にだまされたと思っている朝鮮人や台湾人遺族はだまされた戦死者が靖国神社に祭られていることが許せないでいます。 さらには、靖国神社に戦死者として祭られて、戦後生きて帰ってきた戦死者が、靖国神社に死んだことになっているが生きていますと申し出ると、「はいはい分かりました。名簿から名前を削除していきますから。」と簡単に名簿から削除するのに、なぜ靖国神社に祭られることを拒否している遺族の願いを単なる宗教法人の靖国神社が無視できるのでしょうか。日本の宗教法人はいつから死者の遺族の了解もなく、死者を勝手に神として祭る権利を手に入れたのでしょうか。天皇や有名人の故人を勝手に宗教法人が遺族の了解もなく神として祭るなど、日本の法律のどこにそんな宗教法人の権限が記載されているのでしょうか。過去の国家と一体となった国家神道の時代ではないのですから、単なる宗教法人の靖国神社は戦死者の遺族の了解を今からでも確認して、拒否する遺族の願いを聞くべきではないでしょうか。神道の信者でもないのに神社で祭られるキリスト教徒の遺族の思いは無視していいのでしょうか。神道信者でもなく、戦死者は当時日本人でも遺族は日本人ではないと日本政府に無視された朝鮮人・台湾人の遺族の願いは無視してもいいのでしょうか。死者と遺族の信教の自由などは無視して、無理やり神社に宗教に関係なく戦死者を祭る宗教法人の靖国神社の存在こそが、まず日本人がまず解決しなければならない問題です。靖国神社で祭られていることを拒否する遺族が集団で裁判所に提訴して、靖国神社の超法規的な遺族の信教の自由を侵害しているという裁判を何回でも起こすべきです。宗教法人としての靖国神社が存続するのであれば、現在の靖国神社の存在を遺族の権利を無視している状況から変えるべきなのです。 A靖国神社は宗教法人だから、参拝者が将来減少して、財政的に破綻した場合は、靖国神社の敷地と建物は処分されて、靖国神社はなくなる可能性もあることを日本国民は容認するのか。 靖国神社は単なる宗教法人ですから、他の宗教法人と同様に財政破綻すれば、将来的には敷地や建物が売却され、処分されて日本から靖国神社が消滅することもありえるのですが、それで日本国民は仕方がないと了解するのでしょうか。今後の20年でも、靖国神社の遺族会の方々の多くが死亡していくでしょう。靖国神社が現在の財政で未来永劫存在する保証はまったくありません。政教分離で政治は宗教とは関係がありませんから、宗教法人の消滅を政府や国民が税金から救済することは憲法上も認められません。靖国神社が宗教法人であることが現在だけでなく将来にも大きな問題となっていきます。 詭弁政治の始まり 敵を作り、先制攻撃で撃破し、勝利を重ねた小泉政権ですが、日本の政治の詭弁は小泉政権から始まった訳ではありません。日本政府は敗戦でA級戦犯の裁判を受け入れ、後に国内では戦犯は存在しないという結論を日本政府と日本国民の総意として出しました。日本国内に戦犯は存在しない、そして戦争責任者も存在しないと結論を出した日本政府ですが、海外には日本の戦争責任は存在し、戦犯の戦争責任も認めると公式に発表してきました。小泉首相もA級戦犯は戦争責任者であると発言するように、国外には戦犯と戦争犯罪を認め、謝罪して、国内では戦犯も戦争犯罪も存在しないと結論を出しました。いったい、日本の戦争責任や戦犯を日本政府と日本国民はどのように考えているのか分かりません。中国や韓国にはこれまで何回も謝罪してきたと日本政府関係者は発言しますが、国内では戦犯も戦争責任も存在しないと言っているのですから、思っていないことを謝っても、まったく謝罪になっていません。戦後60年を過ぎても日本の領土問題や戦争責任問題さえも解決できない自民党という政党はなんと無能な政治家集団なのでしょうか。 人類の歴史の中で、国家指導者が、詭弁と民衆扇動によって、「人間には命よりも重要なものがある。」と言っては、どれだけ多くの戦争を起こしてきたかでしょうか。そして、また詭弁と民衆扇動によって、「人間の命よりも重要なものはない。」と言っては、国家指導者は戦争の責任を取ることもなく、膨大な国民を犠牲にした戦争を終結させてきました。詭弁と扇動の政治を民衆が欲する時代こそ、人類社会に戦争という終わることのない血の誘惑が忍び寄ります。詭弁と扇動の政治の時代を築いた小泉政権と、詭弁と扇動の政治を支持した日本国民の未来には大きな危険が待っているかもしれません。 国連は現在も大国中心の無力な存在ですが、その国連という国際社会に日本は1956年に加盟を許されるまでは国連の敵国であったことを日本人は忘れてはいけません。米国、英国、フランス、ロシア、中国の5大国を中心とする55カ国の国連は、過去に日本を敵国として認識してきた歴史を日本人は決して忘れてはいけないのです。国際社会の協調を無視してアジアを侵略占領した日本のアジア政策の失敗で、世界55カ国の連合軍を相手に日本が戦争する結果となる愚かな歴史がありました。過去に間違った日本が、再びアジア政策で失敗し、国際社会から孤立することがあってはいけないのです。 日本の近世史である明治と大正の時代は、日本の近代化と日本文化の欧米化と近代経済が大いに成功する時代でした。日本の明治と大正の成功の後に、昭和のはじめに、世界的な経済恐慌で日本経済は窮地に陥ります。日本の昭和の時代は、まさに世界的な経済市場の安定のために、新たな世界市場の分割が戦争という手段で始まった時代でした。国家経済の安定と豊かな生活という国内問題の解決手段を、当時の日本政府と日本国民はアジアへの侵略で解決しようとしました。そして、他国の人命と被害を考えないアジアへの侵略は、日本の国際社会での孤立をまねき、第二次世界大戦の末期では米国を中心とする連合国55カ国を相手に日本1カ国だけで戦う孤立戦争を続けていながら、日本国民には戦争に勝っていると国民を騙し、国民の人命と被害がどれだけあっても戦争を止めないと日本政府は決意していました。日本の軍部と政府は、地球上のすべての国家を敵とする軍事戦略の失敗を、戦術的な日本の一部の戦闘勝利では補えないという軍事的な基礎さえ冷静に考えられなくなり、国家戦略として地球上のすべての国家を敵として戦う勝利なき戦争に、日本国民は本気で勝利すると考えていました。国内問題をアジア大陸侵略で解決しようとした日本の昭和の時代の国家決断が、日本の国民に嘘をつき、最後には地球上のすべての国家と戦う戦争の反省もなく、日本国民の生命と損害を無視する未来の日本を考えることもなかった国家経営の大きな失敗の歴史を残しました。日本の義務教育や高等教育では教える教師も時間もない日本の近代史ですが、日本の国民の60%以上が日本の近代史を学んでいない時代に、日本は間違った歴史を歩いていないと半数以上の国民が言い出す時代になって、私は大きな危険と危惧を感じています。 日本から海外留学に行く多くの日本の学生が、海外で多くの外国人から日本のことを聞かれます。靖国神社とは何か、靖国神社のA級戦犯とは何か、日本の昭和の戦争をどう考えているか、日本人であるから日本のことを知っていると思っている外国人は、多くの場合は日本の学生の日本に対する知識のなさに失望し、日本人であるのになぜ日本のことをよく知らないのか、理解できなくなります。日本の学生は、なぜ日本のことを聞かれて、日本に対する知識がないことを外国人が不思議に思うのかも分かりません。そして、日本人であるのに日本のことを知らないことを外国人から非難される場合さえあります。日本国内では歴史を知らないで何が悪いのかと言える学生も、海外で日本人なのになぜ日本の歴史に対して無関心なのかと言われて、不愉快に思っても自分の日本に対する無関心の釈明ができません。日本人が日本の歴史に無関心であることは個人の自由であり、日本人が日本の歴史に対して無関心であることを外国人から個人の知性を疑われる結果になっても、現在の日本の学生にはまったく理解できないことなのです。日本人が日本の歴史や政治や経済や宗教に無関心で何が悪いのか、個人の自由ではないか、そして、戦争を選択するのも個人の自由ではないかと言い出すときに、私は日本の恐るべき未来を想像します。大学という日本の知性の最終教育機関を計画もなく許可してきた文部科学省も無責任ですが、もはや20%以上が中学レベルの日本語力しかない大学生を無試験で入学させないと減少した大学生を取り合って、増加した大学が経営できない状況では、日本の大学生の教育はさらに甘くなっていきます。政治を詭弁と扇動の政治にしてしまい、どんなことも個人の自由だと容認し、大学で高度な知性も要求されなくなり、大学で勉強することを誰からも要求されない、日本国民だけでなく他国人に対しても過激に反応する新たな世代に私は限りない恐怖心をいだきます。 日本の高名な政治ジャーナリストは、中国や韓国が60年以上も前の戦争のことを今も言うと、いい加減に忘れるべきだとの発言をし、日本の政治家にも同じ意見の者も多く、日本のマスコミではそんな意見が堂々と発言されます。しかし、日本の朝鮮半島の侵略と支配は1875年の江華島事件と不平等条約から始まり、日清・日露戦争、太平洋戦争など、1945年まで続きます。約70年間の日本の朝鮮半島に対する侵略と支配の歴史は、日本のジャーナリストや政治家が言うように日本の支配が約60年前に終わったとしても、簡単に忘れることはできません。そして、日本は1894年の日清戦争以来、1945年の太平洋戦争終結まで、中国に対する日本の侵略と支配の歴史が約51年間もありました。日本のジャーナリストや政治家が加害者であった国民として、被害者であった中国や韓国に、堂々ともう過去のことだからいい加減に忘れろとテレビ報道でも堂々と発言することが、まず日本人のアジア人に対する傲慢と優越感を感じさせます。自分の能力を高めることに無関心で、努力も苦労もしたくない日本の若者が、日本人は優秀な民族であると発言して恥ずかしくもなくなった原因が、日本の大人社会のアジア人に対する傲慢と優越感にあります。欧米であれば、レストランで自分の語学力がなく、間違った注文をしても、欧米人に大声で文句を言う日本人はほとんどいませんが、アジアでは大声で文句を言う日本人を度々見かけます。欧米人にはできないが、アジア人には平気で恥ずかしくもなく文句を言う日本人の心理には、明らかにアジア人対する人種差別意識と日本人の優越意識が存在します。欧米人に、堂々と日本語で話し、日本語ぐらい理解しろよと決して思わない日本人が、アジア人には日本語ぐらい理解しろと平気で思います。日本人の理由なき優秀民族の妄想は、確実に日本の若者を洗脳し、地球上に優秀な民族など存在しないということも理解できなくさせています。地球上に存在するのは、国籍や人種や宗教に関係ない優秀な個人の存在だけで、民族全体が優秀であるなどありえない妄想ですが、日本では政治家までがうっかり発言してしまいます。アジアを侵略し、支配する資格のある優秀な民族であるとする日本人の妄想が、70年以上の明治以降の戦争の歴史を作りました。日本人は戦争を簡単に容認する優秀民族の妄想を捨てることなく、若者の世代に妄想の再生産を続け、現在も努力も苦労もせず、自分の能力は低くても恥ずかしいと思わない、日本人であるだけで優秀だと信じる多くの妄想日本人を生み出しています。 参加費用が20万円以上という日本の大企業の管理職たちが集まるセミナーで、私は多くの大企業管理職と会いますが、名刺交換をして、私が大企業の社員ではないことを知ると、不思議そうになぜ高額のセミナーに大企業の管理職でもない人間が参加しているのかを聞きたくなるのか、「君はなぜここにいるの?君は何している人?」と聞いてきます。「私はこのセミナーの講演講師で、IT業界に30年以上も働いて、韓国のLGや日本のJALやNTTの管理職として働いてきて、現在は独立して好きな仕事だけやっています。」と答えると、「君はJALやNTTにいたの?このセミナーの講師なの?もしかして僕よりも年上?」と驚いて、「御社であれば、○○取締役や△△常務と面識がありますよ。」と答えると、失敗したという顔で、「また、後で!」とさっさと逃げていきます。また、私の知り合いの韓国人と名刺交換する日本の大企業の管理職も、相手が韓国人と分かると、「日本語がうまいですね。どこで勉強しましたか?」と聞きます。そして、「私は韓国のソウル大学を卒業して、米国のスタンフォード大学でMBAをとってから、日本の東京大学の大学院で博士号をとったので、日本語には多少自信があります。」と流暢な日本語で話すと、ほとんどの日本の大企業管理職は絶句してしまいます。日本の大企業の実力とは管理職の能力で決定される部分が大きいのですが、日本の大企業の管理職の能力レベルとはこの程度なのです。小泉改革をどれだけ叫んでも、不祥事を垂れ流す日本の大企業の管理職のレベルが高くなることはありませんでした。 小泉政権は先制攻撃の政局政治を行ってきて、具体的な政策実施については最初から丸投げ方式の無責任放置行政を行ってきました。高らかに改革を宣言するだけで、具体的な政策実施には無関心で、成功しようが失敗しようが興味ないというのが小泉政権の特徴でした。そして、政権の最後で国内の敵が見当たらないと中国や韓国まで挑発して敵にしてしまいました。これからの外交修復は簡単ではありませんが、靖国問題も外交問題もまさに次期政権と国民に丸投げして、小泉政権は終わります。無責任で危険極まりない政権でしたが、たしかにこれまでにない面白い政治劇場を見せてくれたことでは高く評価したいと思います。ただ、政権を去ったからと言って油断しないようにしてほしいと思います。日本の政治は非情な復讐の政治でもありますから、権力の座から降りた国家指導者にどんな復讐が待っているかも考えておいたほうがいいでしょう。小泉さんは先制攻撃の優位な座から降りるのですから、これからはいつ先制攻撃されるか分からない守り側に立つのです。くれぐれも油断なき余生を楽しんでください。 参考文献: 公開コンテンツ「変化する日本と世界の関係(12)世界貿易ランキング(2004年)」 公開コンテンツ「変化する日本と世界の関係(9)世界GDPランキング(2004年)」 公開コンテンツ「変化する日本と世界の関係(7)日本の貿易構造(2004年)」 公開コンテンツ「変化する日本と世界の関係(4)世界汚職清潔度ランキング(2004年)」 公開コンテンツ「変化する日本と世界の関係(3)世界GDPランキング(2003年)」 公開コンテンツ「変化する日本と世界の関係(2)世界貿易ランキング(2003年)」 公開コンテンツ「変化する日本と世界の関係(1)日本の貿易構造(2003年)」 公開コンテンツ「日本の化学兵器の中国遺棄問題」 公開コンテンツ「危機意識なき日本」 臥龍通信第123号「郵政選挙(終わりの始まり)」 臥流通清第122号「日本社会の貧困」 臥龍通信第121号「郵政民営化法案の欠陥」 臥龍通信第120号「日本の政治の構造改革」 臥龍通信第119号「戦後60年の政治」 臥龍通信第118号「戦後60年の総決算」 臥龍通信第117号「独裁政治への道(郵政民営化法案騒動)」 臥流通清第115号「日本の少子化と女性問題」 臥龍通信第114号「米国政府要望書」 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