2003.09.25
中嶋経営科学研究所 所長 中嶋 隆 |
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| プロフェッショナルへの道(3) 営業プロフェッショナルへの道 私の企業社会でのキャリアは営業職で始まりました。システム開発会社でのセールス・エンジニアの仕事は、システム教育を徹底的に受け企業情報システムを構築できる能力を持った営業職としての仕事でした。私は企業での"営業職"の深さと広さに魅了されます。先輩営業職のノウハウはそれぞれに特徴があり、個人的なノウハウであるために教えられることはなく、師匠のノウハウを弟子が模倣するように営業ノウハウを蓄積していかねばならない営業職は苦しく大変な仕事ですが、営業という仕事が見えてくると、面白くて際限なく夢中になってしまったことを思い出します。営業という仕事は、売上や販売実績の数字の達成ですが、営業の目標達成は運や人間性や社交性を超えた日々の努力の蓄積が必要になってきます。まずは、私の営業職としてのノウハウと経験を皆様に披露したいと思います。 私の営業職としての経験は、セールス・エンジニアとしてスタートしましたが、IT業界の営業というと、新入社員には厳しい試練が待ち受けていました。まず、第一の試練は営業職がテリトリー制であることです。先輩営業職は自分のテリトリーである業界や企業をすでに持っています。営業部門で、だれもが勝手に企業訪問して営業すると何人もの営業職が異なる提案や条件を同一企業に気付かずに提示することが起きてきます。営業マンが勝手に違う条件を何人もの営業マンが同一企業に提案するなど、企業としてあってはならない混乱が発生します。相手企業からも、どうなっているのかとクレームが発生します。どの先輩営業職がどの企業の担当で、どの業界を担当しているかを把握することが、新人営業の最初の仕事になります。先輩営業職のテリトリーを侵すことは"知らなかったではすまない違反"として糾弾されます。この頃は、「最初からだれがどこを担当しているか教えておいてください。」と言い訳する新人営業もいますし、先輩営業に新人営業が「困るのであれば事前に教えておくのが先輩営業の仕事ではないでしょうか。」と要求することも珍しくなくなりましたが、非常識の極みです。先輩営業に自分にために時間をとってもらって、教えてもらうという意識もなく、テリトリー違反で後に先輩営業が困るのであれば、事前に教えておくべきだと主張する新人営業は、先輩営業からなにも教わることなく半年ほどで、配置転換か退職で会社から消え去ります。 新人営業職の第一の試練は、先輩営業職のテリトリーの把握にあります。「お時間を下さい。お願いします。」と頭を下げて先輩営業に頼んで回る仕事ができなければ、まず社外での営業職など勤まりません。「知らないこと」があれば「教えてください。」と言うべき新人が、「自分のルール」でテリトリー違反をして、「知っておくべきこと」は最初から教えていないのが悪いと責任回避をした段階で、営業職失格の判断が下るのです。 第二の試練は、新人営業はテリトリーがありません。先輩営業にテリトリーを分けてもらうとしても、売上数字を持っている先輩営業は良い顧客テリトリーなど渡すわけがありません。最初は、先輩営業のテリトリーの中で先輩が見捨てたクズ顧客が新人営業の担当になります。先輩営業が見捨てた顧客の中から、新規取引先を開拓する仕事が新人営業の仕事になります。見捨てた顧客から新規顧客を開拓する試練が営業職としての第二の試練として待ち受けています。この頃は、先輩営業のアシスタントをしながら営業を学ぶということもありますが、先輩営業の顧客引継ぎなどで新人営業の試練を怠ると企業が新規顧客開拓力を失うことにもなってきます。この頃は、電話セールスも満足にできない新人営業も多くなりました。毎日、クズ顧客に50件以上も電話してアポイントをもらう訓練など、新人営業はしていないでしょう。新人営業であっても、毎日アポイント電話を50件もやっていると、最初は50件で1件もアポイントがとれない新人営業も、数ヶ月続けると10件に8件はアポイントが取れるようになります。いきなり電話して、用件を説明し、担当者を紹介してもらい、担当者にアポイントをもらえるような営業電話ができるまでは、新人営業は一人前ではありません。先輩営業のテリトリーを把握し、先輩営業に了解をもらいながら、新規開拓のためのアポイント電話を確実にして、新規取引企業を6ヶ月以内に獲得することが、新人営業の試練の最初だと言えます。私の営業商品は、最低価格1千万円からでしたから新規取引顧客の開拓は大変でした。1年目に1億5千万円、2年目には2億円の営業目標を達成するのは大変ですが、クズ顧客であっても、200社以上を地道に営業していけば10社ほどの新規取引企業を獲得できます。新規取引企業を先輩の見捨てたクズ顧客の中から開拓することで、先輩営業は一人前の営業として認めてくれます。ここまでくれば、先輩営業の業界別テリトリーを分けて担当させようと企業も考えます。営業職とは、自分の営業能力をいかに開発できるかということであり、いかに企業に自分の能力を数字で理解させるかにかかっています。 この頃、アポイントをもらって企業訪問するのに、訪問企業の四季報も見てこない営業マンや社長の名前させ調べずに訪問する営業マンが増えました。売上や事業所や利益を上げている事業など多くの企業情報を準備せずに会社訪問する営業マンなど、最初から相手にする必要のない営業マンだと思いますが、この頃の新人営業マンには理解できないところなのでしょう。 私が新人営業のころは、毎日営業が終わると会社に帰って、営業日報を克明に書きました。だれと会い、何を話し、どのような提案が可能かを詳細に記録しました。毎回、訪問前に前回の訪問内容や面会担当者など何度もチェックして、最新の四季報や新聞記事まで検索して、情報を集めて訪問しました。また、訪問先企業の競合企業情報も収集して、訪問企業が市場で置かれている状況にも配慮したりしました。システム営業として、アセンブラーとCOBOLのプログラミングとシステム構築教育を6ヶ月間徹底的に教育され、顧客企業のサンプル・プログラムやサンプル出力など、営業の空き時間でできるシステム営業は、当時は面白くて、夜中まで仕事をしていました。現在は、CやJavaやXMLなどのオブジェクトやWebソリューションも理解できますが、それは営業だけでなくシステム教育を徹底的に受けた結果だと思っています。 顧客企業や顧客企業の競合企業情報や市場動向の情報収集は徹底して実行し、新たなシステムを提案する営業の仕事は、学びの宝庫でした。世界最初の韓国語情報システムや韓国語プリンターの開発にも参加し、私の得意とする韓国語は言語の特性分析やマニュアルの翻訳に力を発揮しました。トップ営業の韓国語通訳としても活躍しました。 営業職として一人前の仕事をするようになると、新たな試練が待ち受けていました。商談が決まり5千万円や1億円のシステム注文書を役員と一緒にもらいに行くと、「私は注文を決定していたのだが、申し訳ない。今回は別のところに役員会で決まってしまった。」と、商談決定後でも、最終決定で負けることが多くなったのです。調べてみれば、競合企業が、社長や常務の同級生や政治家や銀行からの人脈で大きな商談を取っていった経緯がわかりました。 メインバンクの頭取からの圧力や政治家の圧力など、商談の内容とは関係ないところで決定する数十億円の大規模プロジェクトに参加するようになると、営業マンとしての営業力の問題ではなく政治力の問題で決定する営業という仕事の恐ろしさも見えてきました。営業力でも提案力でもない政治力の営業が第三の試練でした。システム提案内容が優れていても、政治力で決定する商談に負ける経験は、負ける商談と勝てる商談を見極める能力を養わせることになりました。大規模なシステム案件は、顧客企業のメインバンクや系列関係でとるところが決まっているのであれば、事前に勝つ企業と協力して共同受注する営業方式に転換することが可能でした。だれが勝つかを見極めて、その陣営と協力する体制は、営業数字として大きな効果と実績を生み出しました。そして、業界ごとにその分野では最高のノウハウがあるスーパー・エンジニア・メンバーとの連携による大規模システムの共同受注という方式が確立することになります。日本のIT業界で最も強いメンバーとのコラボレーションによるシステム開発は、丸投げ一括受注方式の競合相手を駆逐していきました。勝つ企業と共同受注し、多くの部分を日本最高のシステム開発メンバーで仕事をする醍醐味は営業の極みでした。1980年代にこのような開発方式と受注方式を確立したところはなかったと思います。その後、1990年代になって、大規模開発は東京と大阪のIT業界の現場責任者である200名ほどの部長や事業部長の間で受注されるようになると、日本で最高の技術を持った業界や業務の専門性のある開発メンバーが企業名ではなくエンジニアの名前や部署名で指名されるようになります。 営業の面白さは、多くの情報収集力と政治力と専門家ネットワークに支えられており、大学や大学院で学ぶこととは違った現実の凄みがあります。自分の能力をいかに開発し、具体的な営業数字として実現していくかという企画力や行動力も要求されます。 私の幸運なことは、25年前にすでに3ヶ国語を話す私の上司たちが私とは比べ物にならないほど情報力と政治力があったことです。私のすることや考えることはすべて見抜かれていて、私の教育のためにあえて見守ってくれた上司には今も頭が上がりません。東京で偶然に会うと、つい直立不動で当時の上司にはお辞儀して挨拶してしまいます。営業職の不幸は、情報力もなく政治力もない数字だけ気にする上司の下で働くことです。学ぶことの無い上司の効用は、せいぜい、あんな上司にはならないと思うくらいで、部下にとっても企業にとっても大きな時間とコストの無駄を生みます。営業職で考えた場合、上司はあらゆる面で部下の能力を超えていなければ、営業部門の活動はコントロールできません。 営業に必要な能力は、@顧客企業と顧客企業に関連する情報収集力、A膨大な顧客企業情報を選択・分析する能力、B分析結果による企画・提案能力、C交渉における高度な政治力、D納品までの高度なプロジェクト管理能力などがあります。業種業態によって、必要になる営業能力には若干の違いはありますが、営業職に求められる基本能力は変わりません。大企業の営業管理職は、売上数字の管理だけという場合が多いのですが、営業の仕事をすべてひとりで完璧にできてしまうだけの能力がないと上司として営業部隊の陣頭指揮はできません。 すべての仕事を個人の能力で完結・完了する能力は、コンサルティング・ファームのコンサルタントには必須条件ですが、営業職の管理職にも必要となります。 よく耳にすることですが、企業管理職は有能である必要はなく、有能な人材を使えれば良いということが言われます。現在の企業管理職は、部下の仕事を判断できるだけの専門性が必要です。経営学の組織論や戦略論や会計論や経営工学を知らないで、部下の仕事を評価できませんし、部下を指示する管理職はできません。最近では経営学領域の専門性だけでなく、高度なIT関連のソフトウェア工学や生産工学などの知識も営業管理職には必要になってきます。部下の仕事の専門性を理解する能力なしに、管理職が陣頭指揮などできるわけがないのですが、人間の管理能力だけが注目され、業務の評価と改善という管理職の最も重要な能力が問題にされません。管理職とは部下の人間性を管理するのではなく、部下の仕事能力を管理することであることが、日本の企業組織の中では理解されていないのです。 私の営業経験は、新人営業の試行錯誤の段階から大きく変貌し、管理職としての経験やノウハウも蓄積していきます。そして、私の営業能力は韓国のLG電子の大阪支店設立でも発揮されます。LG電子の海外支店はすべて3年間赤字であったのを、LG電子最初の支店初年度黒字を達成し西日本地域ではサムスン電子を駆逐して、西日本海外家電シェアー95%を達成した大阪支店長補佐時代の営業は、2週間で大阪支店を開設し、6ヶ月で西日本営業網と物流網を確立し、1年で大幅な黒字を計上する成果となって現れました。LG電子の総帥で現在の具滋洪LG電子副会長(当時LG電子常務理事海外事業本部長)から1988年に海外支店最優秀賞をいただいたことも、いまとなってはなつかしい思い出です。米国スタンフォード大学MBA出身の具滋洪LG電子副会長との出会いは、私が1988年当時に米国スタンフォード大学の世界的なMBAシンジケートの存在を知るきっかけにもなりました。米国のスタンフォード大学のMBAコースには、世界中の財閥御曹司や王室関係者などの特別コースがあり、世界中の国家を動かしている政界や財界や王室の子弟が、スタンフォード大学MBAの同級生として、個人的にも電話で直接話せる世界的な人脈ネットワークを築いていました。米国スタンフォード大学MBAの世界人脈がいかに大きな世界潮流を生み出しているかの認識は、当時の私にはありませんでした。国家間の財閥や政府の最高トップ営業という想像できない営業の世界をLG電子時代に垣間見ることにもなりました。営業は苦しい仕事ですが大きなプロジェクトを担当し、多くの卓越した人材との出会いと共同作業で磨き上げられる能力などを考えると営業という仕事は本当に面白い仕事と思います。 |
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