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2003.09.25
プロフェッショナルへの道(2)
企業組織で働く現実

中嶋経営科学研究所 所長  中嶋 隆


プロフェッショナルへの道(2)
企業組織で働く現実


日本企業に採用されて働くことは、学生の皆さんには大変なことです。特に、企業で働く覚悟や準備がない大学生にとっては、未知なる経験の繰り返しです。 まず、企業で配属されても何をして良いのか分からない状態から、皆さんの働く経験が始まるでしょう。

日本企業の多くは、働く人間には働きにくい構造になっています。

@組織で働くのに、企業は社員の明確な業務権限を規定していません。

Aその結果、管理職も社員も業務権限の範囲なのかを、常に上司に判断してもらうことになります。また、他部署の管理職や上司の上司からの命令が直属の上司の知らないところで下されたりもします。命令する人間がたくさんいて、命令権限ある上司が一体だれなのか。自分に命令権限のある人間が複数いることが、組織での業務自体を混乱させていきます。

B組織で働くのに、企業は社員の明確な役割も規定していません。

Cその結果、管理職も社員も役割の確認を日々の業務で、上司に相談し判断してもらうことになります。社員は先輩社員や上司に役割の確認を日々行うことが本来の仕事より優先することになります。社員の役割は上司の指示でいかようにも変化していきます。社員の役割をあらかじめ規定できない組織運営と日々の業務確認の労働ロスが膨大となり、社員の業務を混乱・遅延させていきます。

D組織で働くのに、企業は社員の明確な予算も規定していません。

Eその結果、組織としての目標や社員としての目標を達成するために使用する予算が明確ではなく、目標達成のためのコストをどの程度使っていいものかも、日々の業務の中で上司に確認が必要です。目標達成のためのコストを規定できないために、事前の有効な戦略の策定もできません。社内の資源だけで目標を達成するのか、また外部資源を利用しコストをかけても目標が達成されればいいのかが明確にされないまま、目標達成だけが条件を規定されないまま要求されます。

F組織で働くのに、企業は目標達成の評価基準が曖昧です。

Gその結果、社員の頑張りの成果なのか、上司の戦略による成果なのか、社員の成果評価が明確にされていません。社員の成果はすべて上司の評価となり、失敗は社員個人の責任となる企業も多くあります。

H組織で働くのに、企業は現場部門と事務部門の意識のギャップが大きい企業も多くあります。

工場の製造部門は、作業の時間や動作を秒単位や歩数単位で、日々数銭のコスト削減を実施しています。5秒で3歩というような規定で1日中働く現場の意識と無駄な会議をだらだらと行う本社や管理部門の意識には、大きなギャップがあります。例えて言えば、上司や他部門への報告には、何歩で移動し、何秒で報告し、書類は一枚を何秒で完成させるという働き方を工場がしていることなど気にもかけない本社部門の社員が多く存在します。

Iその結果、工場部門のコスト削減を全く無駄にする会議や業務が本社機構や管理部門で反省もなく行われます。時間意識やコスト意識のない本社部門や管理部門のコストが企業経営の利益を無駄に消費していきます。

J組織で働くのに、企業には特別扱いの社員が存在します。

Kその結果、組織内に多くの「困った社員や管理職」が繁殖します。日本企業はリストラによる人件費削減と賃金カットによって、利益を増大させていますが、転職できる有能な社員が早期退職していき、転職できない社員が熾烈なリストラ戦争を戦っています。残って欲しい社員の退職とやめて欲しい社員の居座りが企業リストラ戦争を壮絶なものにしています。どこの企業にもいますが、「不思議ちゃん社員」や「非常識管理職」など、組織に多くの非効率をもたらす社員や管理職の「振舞い」や「言動」を放置して、組織の意識は著しく低下していきます。我慢して部下を使うのが上司の能力と勘違いしている管理職も多く、部署内や組織に多くの被害が及びます。

日本の企業で働くことは、学ぶべきものがあるかといえば、基本的な仕事の業務能力がないと仕事ができませんから学ぶことになりますが、プロフェッショナルとしての専門性を企業で学べるかといえば、だれでもできる仕事を繰り返すだけで、卓越したビジネス能力など学べないと言って良いと思います。
つまり、企業は継続する「事業」を行うために社員を雇うのですが、「事業」とは「代替可能な能力の社員による、継続的な利益を目的にした経済活動」のことです。企業組織は「代替可能な能力社員の集合体」でなければ、継続した企業経営はできないということです。 社長や役員や部長や社員がいつ辞めても、代わりの人間が業務を引き継ぐことができなければ、企業経営の永続性は確保できません。業務を担当している社員以外はだれもその業務を遂行できないなど、永続性を目的とする企業組織にはありえないことなのです。会社をいつ辞めても、代替可能な能力の人間がすぐに見つかることが重要で、その意味では卓越した代替しようがない人材の存在は企業組織では大きな意味をなさないということです。企業組織が求める人材の多くは基本的なスキルの代替可能な能力の人材なのです。

それでは、プロフェッショナルな能力はどうやれば企業組織で習得できるのでしょう。企業が社員に用意できるのは、ありふれた仕事ばかりです。言われた仕事を指示どおりに処理していく毎日が、企業組織での社員の仕事であり、一般社員でも管理職でもそれほど変わりはありません。組織では、卓越した「スタンドプレーヤー」がいても、まわりが一般人なので卓越した個人能力など発揮できませんし、まず理解されません。

企業組織を社員が利用できる方法があるとすれば、その方法は実績を見せて専門性の高い仕事を許可されるだけの特権を組織に認めさせ獲得していくことです。まず、企業で実績を積み上げ、能力を証明し、多くの卓越した能力の人材を集め、卓越した能力集団で実績を証明していく過程で、個人の能力は段階的に高まっていきます。実績を積み、外部で多くの能力を学び、現場で能力を発揮し、新たな実績を積み上げていく方法ができなければ、企業組織でプロフェッショナルへの道など望むこともできません。

日本の企業組織は、能力を獲得する場ではなく、能力の実験の場であり、能力を業務実績として証明する場なのです。 企業は社員の教育機関ではありません。利益を目的に活動する集団であって、何かを教えてもらう組織ではありません。働く能力は自分で習得し、常に卓越した能力の実験を実績として証明していく人間だけが、企業組織で卓越したプロフェッショナルの領域まで到達できます。働きながら、専門学校や大学院に学び、卓越した能力を習得し、習得した能力を企業組織で実績として証明していく生き方は、だれにでもできることとは思いませんが、少なくとも日本の企業社会で生き残ろうとするのであれば、覚悟すべきことだと考えます。

会社の廊下に紙くずが落ちていても「私の仕事ではなく、掃除夫の仕事です。」と注意しても拾わない社員や電話がどんなに鳴っていても「私の部署の電話ではありません。」と電話に出ようともしない社員が増えましたが、教えられても分からない社員やもはや教えることさえ放棄した管理職の企業社会が、もう一度企業の人間教育の原点に戻ってくれることを期待します。

東京大学のある教授が校舎の入り口が駐車自転車で通れなくなっているのを見て、東京大学の学生に「通れないから、自転車を移動させなさい。」と言ったら、「私が止めた自転車ではないのに、なぜ私が移動させるのですか。」と協力もしてもらえず、自分で移動させたと言う話を聞きました。最高学府と言われる東京大学の学生でさえ、企業社員や官僚になる以前の大学生の段階で、すでにそんな状況なのかと愕然とする思いでした。 仕事のプロフェッショナルを語る以前に、人間の問題からまず考えねばならない現在の社会状況に深い無力感を感じる瞬間でした。

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