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25.08.2003
企業経営学と国家経営学

中嶋経営科学研究所 所長  中嶋 隆


企業経営学と国家経営学

『日本の知性は死んだのか』の著作の中で、第三部の後半で私は「企業経営学」と同様な「国家経営学」の可能性を「アジアベンチマーキング」によって、議論を展開しました。 圧倒的な資金と人材と技術を生かしきれない日本の国家経営の現状を、アジアの国家経営者が進める効率的な国家経営に比較して、「日本の国家経営の問題点」を指摘しました。

企業経営学といえば、現在は「経営戦略論」、「経営組織論」、「経営会計論」、「経営IT論」、「経営法務論」、「経営統治論」などが中心ですが、「企業経営」に対するこれらの研究領域と同様な「国家経営」に対する総合研究が必要な時代が来たと思います。 「国家経営」は「企業経営」に比べると、国家財政学や経済学の経済政策論や政治学の政治組織論の領域で多くの研究があります。「日本の企業経営」は現在でも多くの改善点を議論されていますが、「組織経営」という視点から考えると、「日本の企業経営」よりもさらに遅れている領域が「日本の国家経営」の領域の研究です。
組織経営という視点から経営学領域の「企業経営」を考えるのと同様に、組織経営という視点から「国家経営」を見直し、企業経営の理論や手法を「国家経営」にも応用し、国民が「国家経営」を把握し、評価し、制御する時代が確実に来ていると思っています。

「国家経営」で重要なことは、国家のヒト、モノ、カネ、情報などの膨大な国家資源を、いかに国民のために使っていくかという問題であり、「国家経営者」が国家総力戦の経済競争の中で、最大最強の組織経営者として機能しなければならないという問題でもあります。「企業経営者」の経営能力をはるかに超える能力を持つ「アジアの国家経営者」が、着実に実現している膨大な「国家経営」を考えると、「日本の国家経営者」の能力は、もはやアジアでも比較にもならないほど陳腐化しています。

「国家経営」を経営資源のカネの領域で考えても、膨大な国家官僚や地方官僚の組織、また外郭団体や政府系団体の組織で、いかに国民のお金が使われているかという「国家会計」や「国家連結会計」などの制度や手法、実際の情報公開さえも国民を納得させるだけの「国家経営」になっていません。財政学という国家体制側の議論ではなく、国民主権いう国民側から考えた評価と検証が可能な「国家会計」が必要になったのです。「国家経営」の主体者であり、出資者である国民に情報公開されない「国家経営」など、正常な「経営」とは言えません。把握できないし、計測も評価もできない、連結会計もない「国家経営」など、国民主権の「国家経営」の把握を考えるとこれ以上は放置できない状況にあります。

最近は、政党の「マニュフェスト」という政党による政策約束が注目されますが、「国家経営」に対して、数値で評価できる「国家会計」が明確に存在すれば、どんな政権であっても、どんな政策であっても、「国家会計」によって「国家経営の費用対効果」の把握が可能になります。科学的な評価を可能にする「国家経営」に対する「国家会計」や「連結国家会計」の存在が、これからの日本には必要です。

「国家経営」の経営資源のヒトの領域でも、「企業経営」には「企業組織論」という企業組織のフィールドワークによる膨大な組織研究がありますが、「国家経営」には「国家組織論」というものがありません。「企業統治論」は日本の企業経営でも大きな問題ですが、「国家経営」の「国家組織統治論」は「企業組織統治論」以上に大きな問題です。膨大な官僚組織と外郭団体組織の「組織論」や「統治論」は、これまで政治学という領域の問題だったかもしれません。 しかし、国家資源をいかに有効活用するかを、国家体制側ではなく国家の主権者たる国民の側から考えれば、新たな「国家組織論」と「国家統治論」が必要になります。膨大な官僚組織と外郭団体組織が、組織ごとの自分勝手な都合の良い「統治論」を持っていては、効率的で無駄のない「国家経営」などできません。把握不可能で制御不可能な「経営組織」と「経営統治」では、国民から集められた膨大な資金は相変わらず国民の知らないところで無駄に使われます。

日本の国家予算は、一般会計と特別会計で約450兆円です。約450兆円のお金をどう使うかを考える「国家組織」の「経営統治」は、大企業の「企業経営」とは比べ物にならない日本の知性が動員されなければならないはずです。国家の膨大な資金を「国家競争力の強化と価値創造」のために、いかに有効に使われるかだけでなく、民間部門の「企業経営」を「国家経営のレベル」で「国家総合力」として再統合もしなければならない「国家経営」の当事者は、日本だけでなく世界に誇る知性集団の経営が必要になります。 「国家経営」を、「国家経営者のための国家経営」から取り戻し、「国民のための国家経営」を実現させるためには、民間企業では明らかに懲戒免職となるような仕事をしていても「解雇」されない国家経営や国家経営側の組織に対して「経営統治」を徹底できない「国家経営者(政権担当者)」の評価と検証を確実に実現できる新たな「国家経営学」という領域の研究と導入が不可欠です。 日本の存在する膨大なヒト、モノ、カネを制御できなくなった「国家経営力」を再度検証し、21世紀の新たな国家経営力を構築するためにも、新たな「国家経営学」の領域の新たな研究を期待したいと思います。日本国民による検証可能で、評価可能で、制御可能な「国家経営」の実現のための「国家経営学」の研究を、今後多くの研究者に期待したいと思います。

「国家経営」とは「政権政党の政策約束」などで左右されるものではありません。どんな政権であろうとも、どんな国家組織であろうとも、「国家経営」の現状を国民に明らかにできる「国家経営システム」があれば、どんな政党や官僚組織が「国家経営」をしても、国民は正確に「国家経営」把握し、確認し、評価できるのです。日本に存在する多くの知性が、新たな「国家経営」という領域に挑戦していくことを期待します。

「国家経営」の視点で、最近は信じられない動きもあります。例えば、「国家経営者」と「国家経営組織」が必要とするのは、国民からの税金です。国民から「税金」を取ろうと思っても、知性が陳腐化してしまい国際競争力を失った日本の労働者では、雇用されず税金も取れなくなります。その時に、「国家経営者」は何を考えるのでしょうか。アジアの企業管理職が、3ヶ国語の言語能力やMBAやMOTや経営学博士や工学博士の能力を獲得し始めると、日本企業の管理職は国際競争力を相対的に失い、失業してしまいます。「国家経営者」は「税収」を確保したいのですが、日本人労働者や管理職が失業する状況で、「国家経営者」が考えるのは、国際競争力ある外国人労働者を日本で働けるようにして、日本人からではなく、日本で働く高収入の外国人から高額の税金を徴収することです。日本人が失業しても、外国人が働いてくれれば「税収」は確保されるということです。「政治家」が何を言っても、官僚組織は自分達の存在の基盤である「税収」さえ確保すれば、だれが「政治家」として「国家経営者」になっても、官僚組織は存続できるというわけです。日本人からの「税収」を確保できないとすれば、外国人からの「税収」で「国家組織」存続の基礎を確保しようというわけです。

2003年の「通商白書」は、海外からの直接投資を大きく取り上げて、海外からの買収や投資を奨励しています。「税収」確保のために、外国資本と外国人経営者による日本の企業経営を歓迎しているような印象を受けます。また、2020年までに、海外から786万人の専門家や技術者を招いた場合に、日本のGDPは2.8%成長を追加できると海外からの専門家や技術者の流入を肯定しています。日本企業の上位10%の専門職や技術職を、卓越した語学力と専門能力のある外国人人材に置き換え、能力が陳腐化した日本人を排除して外国人経営者による「税収」を確保することが、まるで必要と言わんばかりです。「税収」が確保できれば、日本人失業者の増加も容認するかの印象を受けるのは、私だけでしょうか。日本の資格者である弁護士も公認会計士も弁理士も税理士も技術者も、3ヶ国語の言語能力で専門能力の高いの欧州弁護士、米国弁護士、米国公認会計士、海外有名大学MBAやMOT、工学博士のエンジニアなどが数十万人単位で仕事を始め、日本国内でも活躍すると、これまでどおりに日本の資格者は日本国内で仕事が確保できるのでしょうか。日本人から税金が取れないなら、取れる人材を海外から招聘して「税収」を確保し、日本人は適当に見捨てていくという「国家経営」が今後の10年から20年で考えられているとすれば、日本人は本当に覚悟しなければならないと思います。2003年度版「通商白書」にある、海外人材の招聘は今後の日本には欠かせない決断であるという流れは、現在の日本人が自分の仕事を10年から20年の長期で考えると、極めて重大な流れが生まれていると思います。日本人は放漫な「国家経営」を維持するために働き、「税金」を収めるためだけの存在なのでしょうか。日本人は税金を限界まで徴収され、税金を徴収できなくなれば見捨てられて、将来の雇用は外国人に奪われてしまうのでしょうか。「国家経営者」に対する国民の甘い期待は、増税と失業という国民個人の致命的な状況を生み出す可能性があることを覚悟しなければならない時代になりました。外国人という選挙権のない「物言わぬ高額納税者」は、「国家経営組織」にとっては、歓迎すべき存在でしょう。「失業した日本人」が選挙で日本の「政治家」をどんなに選んでも、「国家経営組織」の「国家経営者」を選ぶことはできません。国民は「政治家」を代えることはできても、「国家経営組織」の「国家経営者」を代えることはできません。失業して、納税できなくなった国民に対する「国家経営組織」の対応は冷徹です。年金や税金滞納者には容赦ない取立てが待っています。「高額納税者の外国人」だらけになった10年後の日本など見たくもない心境です。その時に、日本国民はどのような状況にあるのかを考えると、日本国民の将来が心配です。

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