February.2001
中嶋経営科学研究所 所長 中嶋 隆 |
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| 1.IT業界のモラルハザード 日経コンピュータの2月12日号が「IT業界の"モラルハザード"」という記事を掲載した。日本のIT業界のシステム開発現場で"モラルハザード"現象が蔓延しているというのである。IT業界の企業や個人に責任感や倫理観が欠如して、企業を窮地に追い込んでいる状況を、記事は詳細に説明している。数万というバグを承知で販売するソフトウェア企業や、ユーザーの無知をいいことに、でたらめなソフトウェアを納品するベンダー企業など、IT業界のソフトウェアに関する信頼性がいかに低いものかをこの記事は物語っている。 2.エンジニア能力に依存する日本のソフトウェア・システム もともと、日本のIT業界はエンジニアを十分に教育する前に現場に出し、自己流のソフトウェア作りを繰り返してきた。日本のソフトウェア・エンジニアは20年以上も前から、現場で悪戦苦闘しながら自己流のソフトウェア・スキルを身につけてきた。その状況は、現在も変わりない。人月という当てにならないコスト計算による見積もりに始まり、ソフトウェアの品質を保証する基準や契約も存在しない。分かりにくい仕様という言葉が一人歩きして、ユーザー企業には、望むものとは違ったソフトウェアがこれまでも多く納品されてきた。IT革命やEビジネスと騒いでみても、日本のIT業界の現状は、費用に見合うシステムを企業に提供するという基本さえ満足に満たすことはできていない。ソフトウェアがエンジニア個人の能力に依存するとすれば、エンジニアの能力如何によってはソフトウェアの品質にも大きな違いが生じる。企業が情報システムを構築する時に考えるべきことは、システムを担当するエンジニアを日本で最高のメンバーで構成することである。日本で製造、物流、販売、会計、人事など各分野のスーパーSEがどの企業にいるのかを知らないで、競合企業に打ち勝つ優れた企業システムの構築はありえない。また、一部優れたエンジニアが参加していても、劣るエンジニア部隊がすべてシステムの品質や効率を低下させる。企業のシステムの構築は、日本最強のメンバーが揃うことによって、開発期間を通常よりはるかに短縮し、品質も大きく向上することができる。つまり、企業情報システムはどのソフトウェア企業が構築するかではなく、どのエンジニアが担当するかが重要な成功の条件となってくる。日本のIT業界のモラルハザードは、まさにスーパーSEが少なすぎるところ原因がある。 3.エンジニアにもユーザーにもないソフトウェア構築能力 なぜ日本にはスーパーSEが少ないのか。日本のエンジニア教育は短い上に、人月コストの計算のため現場にすぐに投入され、現場での自己流の仕事を余儀なくされる。満足にソフトウェア構築法など勉強している時間は無いのである。正確なソフトウェア構築法や評価基準などを身につける前に、自己流の不完全で非効率なソフトウェアを生産し続ける。不充分な教育と時間に追われる作業で、自己流の場当たり仕事を繰り返すのである。ユーザーもエンジニアの能力ではなく、何人が何ヶ月働くのかという人月単位で構築コストを考えており、ソフトウェアの出来上がりの品質には考えが及ばない。IT業界のエンジニアもユーザー側も、ソフトウェア構築の能力が無いのである。20年も前から、企業は情報システムの構築に失敗し続けてきた。現在もその状況に変わりが無いのは、ユーザー企業にとってもソフトウェア企業にとっても失敗は大きな企業ダメージとなるため、失敗を隠蔽し失敗に学ばなかったからである。将来の日本を決定するIT革命を支える日本のIT業界の実力は、驚くほど情けないものである。日本のIT革命は、すでに根底から崩壊している。 4.日本のIT業界を変革するソフトウェア再教育 欧米のソフトウェア業界も、日本と同じような状況の時期があった。しかし、増大するソフトウェア構築を時間とコストの面から放置しておけば、やがて企業システムだけでなく社会システムも崩壊する危機感が欧米にはあった。膨大になっていくソフトウェアを毎回作り直すことが、やがて限界となってシステムの更新ができなくなるのではないかという危機感は、ソフトウェア工学の研究となって新たなソフトウェア構築手法を次々と生み出す土壌となった。膨大になった企業システムや社会システムを、毎回ゼロから作り直すことは不可能になりつつあった状況で、ソフトウェア・システムの更新を継続していくために目差したものは、システムの拡張性と、再利用性であった。不完全な人間が生み出すソフトウェアは当然完全なものではありえない。だからといって、永久にソフトウェアの不完全性を除去し続けるわけにも行かない。人間にできることは、システムをゼロから作り直すことではなく、後のシステム更新が容易に行えるシステムの拡張性と不完全性を除去してきたシステムのソフトウェアの再利用であった。当然、ソフトウェアを拡張し、再利用するための構造化や部品化が進むことになったのである。ソフトウェアをゼロからプログラミングするのではなく、不完全性を除去してきた部品を再利用することによって、ソフトウェアの信頼性や拡張性の向上を可能にしようとしたのである。ソフトウェアの拡張と再利用を目差すことで、不完全な人間の作り出すソフトウェアの信頼性も向上させようとしたのである。欧米のソフトウェアに対する努力は、現在ERPやSCMなどの多くのパッケージ・ソリューションに生かされている。日本で大規模なパッケージ・ソリューションが開発されず、日本のIT業界大手企業が1990年代半ばから日本市場に参入した欧米のERPベンダーの代理店となってしまっているのは偶然ではない。欧米に匹敵するパッケージ・ソリューションを生み出すだけのソフトウェア構築手法を正確に身につけたエンジニア集団が日本に存在しない以上、欧米に匹敵するソリューションは日本で生み出せない。 5.自立した個人の自己投資としての個人教育 なぜ、欧米に存在するプロフェッショナルなエンジニア集団が日本に存在しないのか。それは、企業で働くのに必要な能力は、企業が用意するものと考えている日本人と、個人が必要とするものは、個人が自分の費用で大学院に行っても学ぶという欧米人との意識の差と言えるかもしれない。一般書籍を読んで学んだ気になっている日本人と、大学院で専門書に取り組む欧米人の能力の差は明らかである。また、自分の子供にどの程度の教育を受けさせたいかとの質問で、大学院までの教育を受けさせたいと答えた両親は、米国43%、韓国46%、日本1.8%という数字もある。人口で単純に考えると米国は約1憶人、韓国2千万人、日本2百万人の親が、子供を大学院まで教育したいと考えていることになる。韓国は日本の10倍、米国は50倍も日本人より子供の高等教育を考えているのである。当然、親がそうであれば子供の大学院における高等教育を受ける意識も高く、企業が望まなくても個人として大学院を目差すのである。もはや、欧米だけでなく、日本はアジアでも優位性を失いつつある。自分の企業における能力を企業任せにして、個人では自己投資としての自己教育を考えない日本人が目差すのは、安くて簡単で短期間に取れる資格である。日本には社会制度として、企業人の再教育機関が整備されていない。社会人大学院はやっと始まったばかりである。自分はいかなる能力をもって社会で働き貢献していくのか。企業任せではない自己の人生設計と能力開発のための自己投資による依存しない自立した個人教育が必要なのである。何かに依存した自発的でない教育など、個人にとってまったく無意味であり苦痛に過ぎないのは、今の子供たちを考えれば理解できる。自立した個人の存在無くして、個人の進歩は始まらない。 |
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