January.2001
中嶋経営科学研究所 所長 中嶋 隆 |
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| 1. 個人のナレッジが変革する日本社会 21世紀を迎えて、日本はまだ混沌とした状況にある。来るべき国家像や社会像が見えてこないばかりか、将来のグランドデザインさえ明確ではない。日本人はどんな社会を、どんな国家を望むのか。日本社会ばかりでなく、人類社会全体の貢献を考えねばならない時代に、企業は自社の利益と景気や株価にばかり気を取られている。企業利益が社会貢献の対価であることを考えれば、企業のなすべきことは企業防衛や企業利益の追求ではなく、来るべき21世紀の人類社会に何をもって貢献となすかという企業活動のグランドビジョンの提示である。日本企業はこれまで何をもって事業の価値となすのかという、事業の最も重要な定義を曖昧にしてきた。売上が上がり、利益があればそれを価値となすという基準だけでは、企業の顧客無視の不祥事はなくならない。 21世紀は、日本の大きな調和が崩れていく世紀でもある。これまでの官庁ぐるみの業界企業による日本市場の調和は、完全に崩れてしまった。官庁も業界を維持・統括していける力を失い、企業は独立して政府の保護から自立しなければならない時がきている。企業が政府に保護され、業界企業の調和を保ち、社員は安心して生活できた状況はもはや日本に存在しない。業界全体の調和を統括し、業界企業を指導してきた政府は、いまや企業が独立して事業を継続していくことを望んでいる。政府の指導に従っていればよかったこれまでの時代から、企業が独立して世界と競争する時代になったのである。企業は政府に頼り、社員は企業に頼ってきた構図は過去のものとあきらめ、企業も個人も自立して世界競争を生き抜かねばならない。自由競争と機会均等こそが資本主義の理念であるとすれば、日本的悪平等の共産主義は消え去る世紀が来たのである。 21世紀の企業にとってのキーワードは、世界的な規模の変革とスピードである。規制緩和により日本市場参入が容易な現在、日本市場における世界的な市場変革の影響を防止する手段はない。また、海外の企業が全世界ネットワークで24時間眠らない企業活動を可能にしている状況では、日本企業の8時間労働では到底追いつけないスピードで世界は変革されていく。マイクロソフトのインド拠点は、米国マイクロソフトの夜中の作業をインドで担当する。日本企業も夜間の業務を南米拠点に移せば、24時間眠らない企業活動が可能になるが、そのような発想は日本企業にはない。24時間365日眠らない企業活動と、日に8時間の分断作業では、技術革新や企業活動のスピードに大きな違いが出てくるのは当然のことである。中国やインドでは社員の三分の一、1000人以上が学位取得者である企業が、米国企業の提携企業として続々と生まれ始めた。日本に学位取得者が1000人を超える企業がどれだけあるかを考えると、世界の英知を活用する米国企業の先見性が見えてくる。日本企業がたとえ真似したとしても、それだけの世界の英知を使いこなせる人材がいるのか不安になってくる。ビジネス英語が十分に身についていて、ITに詳しい人材を100名集めることも日本では難しいが、中国やインドでは数百名単位で募集できる。企業の競争力も、国家の経済力も、結局は個人の能力に制限されているのだ。大学で遊び呆けていた社員が何千人集まっても、学位取得者の一人に勝つことはできない。学ばなければアインシュタインもケインズも乗り越えることはできない。学ばずして個人でこれまでの歴史上の天才たちに到達することは、不可能に近いことを日本人は認識すべきである。組織としての有効に機能することも、各個人が学ばない集団であれば、天才たちの足元にも及ばない議論に明け暮れてしまうだけである。学びそこねた数千人に打ち勝つことのできる、学んだ一人の人材が新たな時代を築くのである。組織は一騎当千の個人が集団となってこそ、真の力を発揮する。 すべての部下の仕事をいつでも 部下以上に補完できる、学び続ける管理職でなければ管理職である意味もない。 すでに個人は、企業に匹敵するコンピュータもネットワークも手に入れた。これからは個人が人生設計をして、個人の人生に必要な英知を、企業という環境に依存することなく、手に入れられる時代が来た。21世紀は自らが将来の人生設計を考え、企業や政府に頼る のではなく、自己投資として学 ぶことを継続する以外に、個人が生き残る道はない。企業や国家も個人が自由に学ぶことを無 視しては、自らの競争力を失うのである。 2.グローバルなインターネット時代の企業活動を支える問題解決能力 日本には制度と法律によって決められた多くの資格が存在する。(図1)
企業にとってこれらの資格者はなくてはならない経営のアドバイザーでもある。だが、現在のようにコンピュータが多くの企業分野で使用されるようになり、企業活動がグローバルな時代になると、これまでの資格制度で考えていた企業に必要とされる能力が大きく変化してしまう。公認会計士などの会計専門家が会計相談は受けても、その企業の会計システムの構築となると、情報処理技術者の力が必要である。場合によっては、コンピュータは知らないのでコンピュータ業界企業に相談してくれということになる。コンピュータ業界企業では、公認会計士ほどの知識のあるエンジニアは稀であり、高度な会計システムは会計士に相談してくれということにもなる。いったい誰に相談すればいいのかと、企業が混乱することも大いにありえる。知的財産権の相談を弁理士が受けても、企業での特許管理システムの構築となると、やはり情報処理技術者の能力が必要となる。コンピュータ・システムを 担当するエンジニアも商法や特許法の知識が必要になったりもする。 専門家が「各分野に分断された専門家」であるために、企業はひとつの問題解決に複数の専門家が必要となり、専門家のグループ作業の調整のためにも、専門家以上の能力のある人間を調整役に置かなければならなくなる。しかし、日本にはすべての専門領域をカバーできる専門家はほとんどいない。そのような人材を作るように日本の制度は出来ていないし、そのような認識も教育機関もない。経営とITと法律の3領域が密接に関係している現在の企業活動を、総合的に統括できる人材が21世紀には必要であるが、そのような人材と人材を生み出す教育が必要であるとの認識が、今の日本にはまったく欠けている。かろうじてMBAの教育コースが総合教育に近いが、大学によって教育レベルやカバー領域にバラツキがあり、すべての大学のMBAが総合教育を行っているとはいい難い。本格的な社会人再教育を行っているMB Aコースは、日本では筑波大学*1を始めとした数校に限られ、卒業生は東京全体でも毎年500人もいない。今後、日本企業にはMBAレベルの再教育を受けた管理職が少なくとも100万人は必要であるが、日本全国で毎年1万人ほどの社会人を再教育できる体制もない。このままでは100年経っても、日本は世界に誇る人材集団の国家にはなれない。さらに21世紀はグローバルIT時代である。様々な言語を使った言語能力が必要である。バイリンガルではなくトリリンガル*2以上の人材が必要とされる時代が来るのである。また、専門分野能力や言語能力だけでなく、グローバルな情報収集能力も必要となる。つまり、日本だけでなく米国や欧州、アジアなど幅広い地域から自由自在に情報収集する能力である。21世紀に必要とされる人材能力は(図2)にあるとおりの@専門分野能力、A言語能力、B世界的情報収集能力、@とAとBを総合したC能力分野統合能力である。
3.日本の制度や法律に保護された資格による既得権益の崩壊 21世紀は、大企業だけでなく中小企業や個人がインターネットによるグローバルな経済活動を余儀なくされる時代である。よって当然、日本国内だけでなく海外との問題発生も多発する。これまで制度や法律による資格に守られてきた既得権益も大きく変化する。IT革命というコンピュータ化の波によって、専門家は総合的な専門知識を必要とされるだけでなく、海外からもたらされる問題についても対応しなければならなくなる。 たとえば、世界中の国家や企業との訴訟など、グローバルな企業活動をする企業に今後起こりえる法的リスクに、日本の弁護士はどう対処するのか。米国や韓国やシンガポールといった国で訴訟になったとき、日本の企業と弁護士はどう対処すればいいのか。米国の法律事務所には、すでにアジア展開を終えている事務所も多くある。日本企業に対して「我が法律事務所は世界中のどの国家におけるトラブルも迅速に対応し、企業を世界中の法的トラブルから保護できる体制にある」と年間顧問契約数億円で契約する米国法律事務所もある。国内法律事務所は、日本の企業から国内の訴訟対応は頼まれるが、全世界対応の企業契約は海外法律事務所に取られている。弁理士も、世界特許が本格化する2005年には明細書も英語になるという可能性を考えもしない。世界特許として申請する明細書が、ローカルな日本語で通るはずがない。5年後には、英語の明細書が読めず書くことも出来ない弁理士や知的財産権担当者が、どのようになるのかは自ずと見えてくる。 21世紀はホームページで会社業績も公表される。会計情報の公開に英語による財務諸表の作成は当然の能力として要求されるし、英国の財務諸表と米国の財務諸表の種類や形態の違いまで熟知して、日本の財務諸表を各国仕様に英語で表現できる会計士が日本にどれだけいるのか。新たに財務諸表に知的財産権資産目録が加えられている中、会計士が知的財産権目録や評価といったことが分かるのだろうか。 資格に守られた既得権益はすでに崩壊しつつある。21世紀の世界が望んでいるのは、資格などではなく時価の能力である。過去に取得した能力や資格も、時価での有効性を問われるということである。時価の能力に報酬を支払うという考え方は、過去の能力に安住すれば時価としては、どんどん価値が減少していくということである。資格を取得していても、陳腐化した能力には誰も報酬を支払わないということである。21世紀は資格取得者も死に物狂いで専門領域を広げ、言語能力を高めなければ、すぐに生き残れなくなるくらい世界の進展は速い。最も長い間、最も努力した人間のみが、これからの高額の報酬と豊かな暮らしを約束される。一時的に資格を取得しても2〜3年で知識や能力は陳腐化することになるため、永遠の努力なしには能力の維持は難しい。学歴だけでなく資格においても、もはや楽に暮らすことは出来ないのだと認識すべきである。世界的な個人能力の時価有効性を問われる時代に、「日本は関係ない」と過去の実績や資格に安住すると、仕事は熾烈な戦いをしている海外人材に奪われていく。すべての日本人が世界的な能力評価をされた結果、世界から取り残され、忘れ去られる時代が21世紀でないことを祈るばかりである。すべての日本人の個人能力が、今後人類社会に貢献できる能力であるか、世界中から問われていることを知るべきである。 4.既得権益業界の反動 21世紀は、企業や国家ばかりでなく個人も変革の中にある。しかし、変わることを余儀なくされている状況の中で、変わることを受け入れられない勢力も存在する。そういった、過去と同じ仕事をして変わることを極力嫌う人々が、場合によっては時代の変革を阻止しようと動くことがある。特に既得権益があれば、すでに手にした権利を手放す状況を阻止したい気持ちも理解できる。ただ、過去を懐かしみ過去の栄光に浸るのは自由であるが、世界的な変革の中で既得権益確保のために努力することは、世界を相手に勝てない喧嘩を売るようなものである。資本主義は自由競争であり、一度確保したものも時価で厳しく評価される制度であることを考えれば、無駄な努力であるのだが、既得権益を維持しようという動きは想像以上に強く、日本社会には存在する。法律や制度に保護された資格を持つ人々は、日々努力をして、世界的な競争に負けないような苦しい学びの継続などは、考えもしなかったはずである。 また、既得権益業界の地図も大きく変化している。知的財産権の業界も弁理士、弁護士の数万人の業界からIT業界の問題に領域は拡大し、すでに40万人をこえる問題として議論されるようになった。知的財産権は法律の問題であって、経営やITに関連する問題は関係ないというようなわけにはいかなくなった現状を、理解できない人々も多く存在する。彼らはソフトウェアを知らなくても、経営を知らなくても、法律に従った業務をするだけで、企業の経営戦略やソフトウェア戦略などは自分達の仕事ではないというわけである。このように、分断された資格者の専門家制度が、企業活動の大きな阻害要因として、新たな問題となっている。 制度や資格で企業が救えるのであれば、現在の企業の苦しみは存在しない。しかし、資格制度を無視して、無資格者の業務を認めるわけにもいかない。必要なのは、資格者の能力を超える、偉大なる無資格者の大量生産である。経営とITと法律の総合教育を受けた専門家を凌駕する、無資格者による専門家のコントロールである。資格が欲しいために資格を取る勉強をするとか、資格に守られ限られた専門分野の仕事だけをしたいとか、資格ではなく総合教育を受けて、資格者のコーディネーターとして企業で問題解決を担当する等の、このような多様性が企業にはあっていいはずである。これからは複数の資格者を活用し、企業の問題解決を担当する人材が必要であり、業界側も資格がないというだけで「一切口を出すな」と言うことは考え直す必要がある。ただそれには、専門資格者や企業管理職の再教育が必要であり、そのための専門機関がこれから必要である。これまで、経営とITと法律の総合教育を行う機関が、日本にはなかったのが大きな問題であり、まさに我々が目差す総合専門教育が必要になってくる。 5.ゼロからの出発 日本の現状を打開するためには、既得権益にしがみつくのではなく、個人も企業も政府もすべての既得権益をいったん捨てて、ゼロから考える必要がある。自らの存在意義とは何か、何を持って社会に貢献し対価を受け取るのか。個人や組織の能力が競争力のあるものなのか。21世紀は個人も企業も、能力と活動により生まれるアウトプットの社会的評価にのみ、依存した存在にならねばならない。社会から評価をしてもらえるだけのアウトプットを出せるか否かに、存在のすべてをかけるのである。そして日本中で個人や組織が存続するに値する価値あるアウトプットが出せるように、専門家の再教育を行う必要がある。 現在の日本の状況は、世界が下した日本人の能力に対する評価であって、企業や政府への評価ではない。日本人という個人集団への世界評価であると考えるべきである。政府がだめなのでも、企業がだめなのでもなく、個人がだめなのである。日本人全員が個人として、政府や企業に依存することなく、個人の自立した能力に立脚したゼロからの出発を覚悟した時に、企業も政府も大きく変わることになる。何かに頼るのではなく、自らの努力と能力のみを信じて再度学ぶことが、これからの日本人の人生を大きく変え、日本再生の大きな力となることを、私は確信する。既得権益という、他を制限することによって生まれる権利などもう長続きはしない。人生を設計し真剣に考え、個人の能力と努力にのみ支えられた自立した日本人の登場なくして、日本新生はおぼつかない。いつの時代にも変革を起こしてきたのは個人の知恵である。学びなき自己満足の知恵ではなく、血の滲むような努力に支えられた、世界を変革する知恵を生み出せる「個人のナレッジの世紀」が21世紀であると信じたい。 |
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<脚注>
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