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January.2001
日本におけるIT革命

中嶋経営科学研究所 所長 中嶋 隆


1.国家におけるIT革命
日本におけるインターネットの普及は始まったばかりである。米国はもちろんアジア諸国にも遅れを取った日本のインターネットであるが、重要なことは、ITは道具であり経験しなければ何ができるのか理解できない点である。低速インターネットの普及が始まったばかりの日本では、インターネット利用者がまだ本格的にインターネットを活用するレベルまで到達していない。したがってインターネットを利用するサービスもこれからが重要であるが、本格的な普及前に何が実現可能かの検証も無しに過剰投資をしてネットバブルを起こしてしまった。インターネットで何が可能かを国民の大多数が経験することが重要であって、企業や政府が勝手に考えたインターネット普及には何ら意味がない。国民の立場でインターネットによるIT革命を考えた時、インターネットを使うも使わないも個人の選択ではないだろうか。政府や民間企業が膨大な投資をし、税金や利用料という負担をしてまでも、全国民がインターネットを使わねばならないような必要性はあるのだろうか。多少便利になるために、各家庭までデジタル回線網を無理やり引き、全国民にその負担をさせるのが本当にいいのか。全国民がIT革命時代の利便性と負担を真剣に考える必要がある。現在の低速インターネットから高速インターネットさらに超高速インターネットの2世代に渡って、各家庭までインターネット回線網を整備することで日本国民の何が変わるのか。税金と民間投資という膨大なコストを回収できるだけの利便性と普及を本当に確保できるのか。高速インターネットや超高速インターネットの24時間利用をしなければならない個人の利用目的とは何か。低速インターネットでは多少遅くても現状大きな問題は生じない。この状況を高速や超高速にする必要性が明確にされない限り、政府や民間企業の投資は無駄である。

私は現在会社では1.5M(メガ)の回線でインターネットを利用し、家庭では64kの回線を利用している。現状インターネットの利用に大きな不便は感じていない。インターネットが高速になれば個人も企業も低速では実現できないビジネスがあることは、韓国のPC房を見ればすぐに理解できる。だからと言って高速インターネットのビジネスが進んでいるとか優れているとは思わない。実現できるビジネスが違うだけで、そのような高速や超高速インターネットの新たなビジネスを我々がコスト負担をしてまでも望むかと言えば疑問が残る。64kの回線を8Mにするための税金と民間投資のコストを考え合わせれば、IT革命は多様であっても良いはずである。64kや128kや10Mや100Mの回線があっていいし、国民の選択に任せるべきで、何が何でも高速化投資をして全国民世帯にインフラ整備する必要もないし、国民はその投資負担の決定もしていない。

韓国のPC房はインターネット回線網を各世帯に整備する過程として、まず「インターネットを経験する場」として機能した。インターネットとは何かを1時間100円というコストで全国民が経験できる場を提供した。その低コスト経験の結果、韓国のインターネットは国民に理解され、現在韓国の世帯の42.5%がインターネットを利用し、小学生を持つ世帯の95.1%がコンピュータを持ち、その74.4%がインターネットを利用するまでになった。また、株式取引の73.7%がインターネット取引となった。韓国は低速インターネットの普及につれて、PC房の高速化を進め低速インターネットの自宅利用66%、高速インターネットのPC房の利用43%という利用者の利用目的に合わせた2重のインターネットインフラを持つに至った。全世帯は低速インターネットを利用し、高速が必要なときにはコンビニと同様に約2万店あるPC房を1時間100円で利用する。さらに超高速が必要と国民が考えれば、PC房を超高速化して対応する。低速インターネットの世帯網と高速・超高速のPC房ネットという3重のインターネットインフラの存在こそが最も有効でコストのかからない多様化したインフラの姿ではなかろうか。低速インターネットを普段の道路と仮定すると、高速インターネットは高速道路で超高速インターネットは新幹線である。日本は利用するか否かに関係なく、各家庭の玄関まで高速道路の入り口と新幹線の駅を作ろうとしている。韓国は各家庭の玄関から5分のところに全国民が共有できる高速道路のインターチェンジと新幹線の駅を作った。4500万人の人口の各家庭の玄関まで高速道路や新幹線を引くのと2万ヶ所のPC房まで引くのでは社会的コストと新技術の普及スピードが大きく違う。1億2000万人の全家庭へのインフラ整備にどれだけの社会的コストと普及時間を日本はかけるのだろうか。日本では6万ヶ所のPC房でコストもスピードも韓国に追いつけるし毎日約2000万人の人々に高速・超高速インターネットを経験させることができる。しかし日本は全国一律の全世帯インターネットインフラの高速化に躍起になっている。1日に1時間も必要ない高速や超高速インターネットのインフラを全世帯に整備する間に、日本は来るべき21世紀への貴重な投資資金と時間を再び失う。地方にまで整備尽くされた高速道路に車はほとんど通ることはない。そのようなインフラ整備にIT投資がならないように祈るばかりである。

2.日本企業におけるIT革命
日本企業にとってIT革命とは何か。現在、企業にとって必要とされるIT革命とはどんな変革を可能にするのか。インターネットが登場して、デジタルネットワークを利用することが企業をどう変革するのか。低速インターネットをやっと普及させようとしている日本にその答えはない。なぜ答えがないのか。インターネットはこれから爆発的な普及が始まる段階であり、低速のインターネットがやっと理解できる状況である。今後繰り返される高速、超高速インターネットの技術革新で企業や社会がどう変わっていくのか、まだ経験していない以上、理解しようがない。まだ、何ができるのかさえ分からないECに膨大な投資をして、ECがもう終わったかのような日本の状況はビジネスを流行と間違えている。企業経営は流行ではない。企業経営は地道な検証と実践の積み重ねによって実現される付加価値の創造活動であり、世の中の理解もできない流行を追うことではない。インターネットを利用するだけで企業変革ができるという認識は、かってのERP*1やSCM*2を採用すれば企業変革が実現できるという騒ぎに似ている。ITは道具であって、ノミやカンナと同様に使い慣れて、使い方に習熟しなければ有効には使いこなせない。1994年以降IT業界は企業内情報の統合システムであるERP、企業間情報の統合システムのSCM、電話やFAXなどの顧客対応のシステムのCTIやSFA、企業内情報とナッレッジの活用システムであるKMなどの企業情報システム・パッケージを企業の変革の道具として提供してきた。これらのパッケージ・システムは、高度なパッケージ・コンサルタントによる分業によって導入されたが多くの失敗例を残した。道具は自動的に企業を変革してはくれなかったのである。これらITソリューションの利用に成功した企業は道具を有効に利用するために自らが変革を覚悟した企業だけであった。現在もERPやSCMは導入されており多くの失敗例を繰り返すだろう。問題は道具にあるのではなく、使う側の企業に失敗の原因があることに今だ気づいてはいない。インターネットを利用したECについても同様である。何に使えるかの検証もしないままECというだけで投資の対象に考えたり、ECが勝手に企業を変革してくれるという幻想が日本の現状をさらに悪化させている。企業にとってインターネットはネットワークにすぎない。ケーブルの中を商品やサービスが流れていくわけではない。インターネットで飛行機予約しても、銀行に代金を振込み、確認の電話を受け、3日後にチケットを取りに行くような状況ではECの意味がない。ERPやSCMなどを徹底的に使いこなす基盤がなければインターネットによるECの効率化など実現できない。企業におけるIT革命とは、これまでの企業内活動を極限まで情報化し、さらにインターネットというネットワークを利用するところに重要性があり、社内作業の効率化や情報化が不充分な企業がECを利用したからといって企業変革できるものではない。

私は20年前に企業業務パッケージを提案したことがあった。企業のビジネスプロセス分析をして、企業の共通プロセス部分のパッケージを作ることが納期短縮になりコストも大幅に削減できることを主張したが否定されてしまった。先輩は手作りで長い期間かかるから売上も大きいのであって、コスト削減などしてしまっては売上減少になり自分たちはどうやって食っていくのかと主張した。業界も企業も売上減少になるようなイノベーションは必要ないし、顧客のためになっても企業存続ができないようなアイデアは必要ないというわけである。SAPやBaanが日本に参入したころ、日本においてSAPやBaanは顧客がなかったベンチャー企業であった。手作りで時間がかかる日本のIT業界のシステム作りは、パッケージ・システムに置きかえられていった。彼らは既存顧客がないため最初から日本企業の顧客に安いパッケージを販売できた。既存顧客を抱えていた日本のIT企業は顧客を奪われるよりは、パッケージ・システムの販売を選んだ。顧客がないからこそ産業全体を変革することができる。産業全体のイノベーションは常に顧客のない新しいベンチャー企業によって実践される。SAPやBaanなどのERPベンダーは外資系であったことも成功の要因であった。日本企業であれば、IT業界企業や産業保護を仕事とする官庁ぐるみで産業全体の売上を減らしてしまうようなベンチャー企業は潰されてしまったはずである。日本は世界的なイノベーションを国内で行い企業の世代交代を推進するのではなく、既存企業の存続と産業保護を前提に政策を実施してきた。古い大木である日本企業は今こそ多くの実をその足元に落として新しいベンチャー企業の芽を多く育てる時期が来た。21世紀の人類社会はイノベーションの嵐の中にある。新たなイノベーションを組織や企業存続のために潰している場合ではない。余力のあるうちに、大木としての養分をイノベーション・ベンチャー企業に託し、世界競争に打ち勝つ新たな企業の創生を覚悟してほしいものである。産業全体のイノベーションが不可能な企業の存続や産業保護のために、IT革命を推進しても人類全体のイノベーションの嵐は乗り越えられない。

3.個人におけるIT革命
個人においてIT革命は非常に重要である。私はインターネットによって収集する情報はコストをかけずに数十倍となり、収集時間も数百倍の速さになった。海外の論文や書籍はインターネットでダウンロードしたり、ネット注文したりして数ヶ月かかる資料も瞬時に手に入るようになった。そのために私のアウトプットはインターネット以前と以後では軽く数十倍違うものになった。

また、企業に所属しなければ調査できなかった資料や企業の費用でしか手に入らなかった資料が個人でも手に入るようになった。もはや企業に所属しなければできない情報収集や研究というものが無くなった。個人と企業が情報で格差が無くなる時代をITが可能にしたのである。企業に所属しなければ学べない事柄も無くなり、個人が企業に所属しなくとも個人の才能を十分に発揮して、企業や社会に貢献できる時代が到来しつつある。

企業に所属しても所属しなくても、何ら変わらない努力を積み上げていける個人の存在が企業を大きく変える可能性を持ってきた。個人の能力と限りない努力によってのみ存在を主張する個人の登場はすでに始まっている。BIT Professionals Review の執筆メンバーはまさにそういった人間の集団である。企業が個人の限りない能力開発の成果であるアウトプットのほんの一部だけ受け取る時代が21世紀であり、企業が個人に依存する時代である。21世紀は個人がどの国家で働こうと、どの政府に税金を支払おうと選択できる時代でなのである。報酬も人種や国籍などに関係なく世界中のどこで働こうとも世界的な基準で決定される。日本人の報酬も世界的な基準で計られ、日本人の間でも大きな賃金格差が生じる。全体の1%がその他の10倍以上の収入があるということも今後は考えられる。経営者や管理職もそれなりの能力を客観的に示さねばならない時代になるのである。韓国三星グループは管理職になる時に、また昇進する時には担当分野の論文を書かされる。その論文は社外の専門家の査読によって認められないと昇進はできない。したがって三星グループには管理職の各担当分野の研究論文が膨大な数保存され、その論文は社内の全社員が企業ナレッジとして閲覧できる。先輩が書いた論文を読み、管理職になるレベルを全社員が日々痛感する。企業の押し付けの社内教育や集合教育ではなく、社外の専門家による学会レベルの論文審査に通るだけの日々の個人的研鑚が重要なのである。韓国企業に修士や博士が綺羅星のごとく存在するのはそれなりの理由がある。

21世紀の日本の再生はまさに個人の再生でなければならない。日本企業の不振は日本企業の社員が報酬に見合うだけの働きをしていない証明である。日本の人件費はいずれ世界的水準で計られる時が来る。自分が世界のIT業界で何番目の能力であるのか。何番目まで努力して上っていけるのか。日本だけでなく米国や欧州やアジアの情報収集ができるのか。専門分野は経済学、経営学、情報工学、法律学、社会学、文化人類学などどこまでの領域をカバーできるのか。使用言語は日本語、英語、韓国語、中国語などどれだけの言語を駆使できるのか。3ヶ国語以上を話し、多くの専門分野の最先端を修得した世界中のどの国の企業でも仕事ができる個人の出現はもう始まっている。日本企業だけでなく国家も個人を引き止めて置けない時代が21世紀であり、有能な人材の流出が始まれば国家の税収は大きく減少することもありえる。国家の膨大な借金を返す人材は21世紀には日本に存在しないという事態も考えられるのである。

4.21世紀の日本におけるIT革命
21世紀の日本におけるIT革命は、政府においても企業においてもそして個人においてもコスト意識のあるIT革命でなければならない。インターネットで何ができるのか。それが高速・超高速になることによって何が実現できるのか。膨大な税金や民間資金を検証もできないものに投資するべきではない。また全国一律に整備するなどどいうことをするべきではない。国民が望んでもいない決定がなされた時、個人は責任の取りようがない。優秀な人材であればあるほど、国民負担が大きくなれば海外流出する。

21世紀の日本におけるIT革命はまず個人が世界的な競争力ある能力を身につける個人革命でなければならない。しかも政府や企業に依存する個人の再教育ではなく、自らが自己投資として自分の才能開発に投資しなければ意味はない。現在の日本人が持つ資産を技術や物に投資するのではなく、個人の能力開発に投資するのである。ITを理解し、活用し、新たなITを生み出すだけの個人の能力開発なしにIT革命の成功もありえない。2001年は企業再生の年でもなく、国家再生の年でもない。21世紀を生き抜く個人再生の年なのである。日本国民の一人一人が世界的競争時代を生き抜くだけの能力を自らが投資してやりぬく覚悟なくして日本再生はありえない。個人が強くなければ組織は強くなれないし、企業も強くはなれない。組織や制度に埋没し依存する個人ではなく、自らの人生を設計し将来の目標に向かって強く生きていける個人の存在なしに日本再生はありえないのである。 人間に頼らずITという技術に頼ろうとする政府も企業もITを再考する必要がある。



<脚注>
*1 Enterprise Resource Planning
*2 Supply Chain Management
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